あれはいつのことだったかしら。20歳で父と喧嘩して荷物をまとめて家出したときだったかな。そのあといったん戻って24歳で正式に独り暮らしを始めたときだったかな。
一冊の大学ノート。ボールペンでぎっしりと料理レシピが書かれている。その数、100以上。母が私にくれた。
たくさんの人からの反応があったクレープのレシピも、このノートに書かれている。ちらし寿司、豚のピリピリ焼き、鶏のレモン風味焼き、トマトの甘酢サラダ、煮しめ、お雑煮...。我が家で慣れ親しんだ母の味がぎゅっと一冊に詰まっている。
実をいうと、その半分も作れていない。クレープがいちばんリピート率高い。
母がボケてしまうまでに実地で教えてもらわないと、網羅するのは難しいだろう。(双方の)時間とやる気ははあるだろうか。もうしばらく猶予があるようだけど。
食通で、テーブルに満足いく数の料理が並んでいなかったら、本気でちゃぶ台返しをするような父だった。品数が少ないと「おい!タンパク質が足りないぞ!」と怒鳴った。必死で冷蔵庫から材料を引っ張りだして小鉢を用意した母。そのプレッシャーは大変なものだったろう。父の帰宅時に瓶ビールが冷蔵庫に冷えてないのに気付いたときには、母と私たち姉妹は真っ青になった。そしてなぜか私が指名され、隣近所に冷えたビールを借りに行った。
結婚当初はステーキとサラダしか作れなかったらしい。ある日、父から「料理を習ってこい」と命じられ、土井まさるクッキングスクールに入門した。それ以来、ひたすら父のためにありとあらゆる料理を作り続けてきた。くじら、シャコ、なまこ、ワカサギ...珍しい魚介類もふんだんに食卓にのぼった。気付けば人に料理を教え、近所からおせちの注文がくるようになった。
昨夜、クロネコヤマトの即日便で、出来立てのおはぎが届いた。大阪で朝作って、夜には京都で娘が食べる。便利な時代になったものだ。秋分の日は父の誕生日。きまって母はおはぎを作り、ふだん甘いものを食べない父が幾つも食べる。そして祖父母の眠る霊園に墓参りに行く。
何十年もかわらないおはぎを味わいながら、父のために人生を捧げた母の生きざまを想う。来週、久しぶりに帰省することにした。大学ノート持参で。