古いニュータウンのスタバにて実家とはてなブログについて想う

ブログというのは不思議なものだ。ふとしたときに書きたいな、と思ってしまう。

もうはてなブログに文章を書くのはいいや、とか思って小洒落た note にコーチングの話を書いたりしていたが、ふとしたときに書きたいなと思ってしまうのはこっちだったりする。それがなんとなく悔しいというか、フンという気持ちにもなるのだけど、正直な気持ちだったりする。過去のブログを全部非公開にしてデザインも刷新して心機一転、違う私として書いてみるのもありかと思ったりもするけど、それもまた面倒くさくてやる気がしない。たまに過去の自分のブログを見返したりすると「いいこと書いてるやん。頑張ってたんやな、私」とか思ったりもする。

今、このブログを実家の近所の駅にあるスタバで書いている。88歳と80歳の親はまだまだ元気だが、近所との交流も減って夫婦だけで過ごす時間が増えたので、週に1度は私が実家に通って畑仕事を手伝ったり、晩ご飯を共にしている。コーチになってから親との関係も劇的に良くなったので(この話はまた後日に)、昔は「死ねばいいのに」とか真面目に思っていた父親(ごめんねお父さん)ともすっかり友だちみたいな関係になって、実家に帰るたびに母の手料理で酒盛りをしている。

今、このブログを実家の近所の駅にあるスタバで書いている。大阪の難波から南海電車で30分。昔はニュータウンとして同じようなファミリー世帯が同じような暮らしをして同じように高齢になって古ぼけてしまった地方の街にあるスタバ。隣の客は80代ぐらいのおじいちゃんで、コーヒーを一口すするたびに「はあー」と大きな息を吐いている。

で、思ったのだが、このブログも実家みたいな立ち位置なのだ。素直に帰ってくるのがシャクに触るんだけど、なんとなく気になって帰らざるを得なくて、帰ったらほっとすることもあり、たまに戻ってきてしまう。そんな場所なのだ。だから、note みたくよそゆき顔で「コーチのれいこんです🎵」みたいに「ですます言葉」では書けない。ほんまに昔のことを思い出したらシャクに触るんだけど、実家を見捨てるわけにはいかないしな、という感じだ。

最近の私はコーチをやっている。スポーツのコーチみたいに専門分野で後進を育成するものではなく、人の話をひたすら聴いてそれに対して態度でリアクションしたり言葉でフィードバックしたりして、その人の思考整理やモチベーションアップの手伝いをする仕事。どうやらこれが天職だったようだ。そういえば、はてなにいた時代もそんなことばっかりしていたのだ。当時の夫だった創業者の話をひたすら聴いてリアクションしてフィードバックしていたし、スタッフの話をひたすら聴いて応援していたし、なんなら24時間365日、家に泊まらせて話を聴いていた。

しかし当時はコーチングなんてものは全く知らなかった。それっぽいことをしていたとはいえただの聴き役、応援役だった。だから社内コーチとして立派に活躍していたわけでもなく、ただただ社長夫人という役回りで右往左往していた。気づけばIPOを目指す会社にとって不要な存在になり、育児の荒波にもまれて会社は私の居場所ではなくなった。気づけば「はてなは遠くなりにけり」になった。

だから実家。どんなに成長して戻ってきても、なぜか自分は今なお未熟な自分であり、居心地が悪い。でもやっぱり戻って来ずにはおれず、そしてちょっと落ち着く。そんな場所なのだ。

レジから「びええええ」という子どもの泣き声と「なんなの、何が欲しいの」という若いお母さんのイライラした声が聞こえてくる。地方都市のスタバには、Mac を開いてドヤ顔しているお洒落なビジネスマンはいない。せいぜい近所の私大の学生ぐらいだ。ショッピングセンターにはユニクロ、ABCマート、MUJI、GAP、ダイソー、ニトリが並んでいる。まさに郊外。ダサい。うんざりするし悔しいがめっちゃ便利だ。京都よりも便利だ。落ち着く。

コーチングでは、クライアントと1時間話していると、最初に彼(彼女)が話していたテーマから話題がどんどんそれていくように見えて、実はそのテーマへの解のようなものにたどり着くことがある。「結局、こうなんですよね...」とクライアントが納得するのだ。そんな時は、なんだか美しい帰結だな、と思う。解決を求めて話していたわけではないのに、ただただ今この瞬間に必要そうな話を聴いていくと、クライアントにとって「あるべき」ところに辿り着いて終わるのだ。小さなボートが波に揺られてふわふわと水辺から出ていき、ゆらゆらと漂ううちに辿り着く、「そうなんだ、ここだった」という岸辺。そしてまたそこから次の岸辺へとボートは漕ぎ出してゆく。ゆらゆらと。

さっき泣いていた子どもが寒空のテラスではしゃいでいる。それをガラス越しに見ていた老人がニコニコと笑って子どもに手を振った。若いお母さんもイライラがおさまったようで、老人に愛想笑いを返している。

古びたニュータウンの実家とはてなブログは、私にとっては同じような場所なのだ。関係性は徐々に変わっていく。関わりは続く。断ち切りさえしなければ。