久しぶりにブログというか日記を書こうと開いたところ、デザインや各種設定が気に入らなくなって色々といじっていたら夜になってしまった。
一つ前の投稿から10ヶ月が経過していた。前職を辞めてから、コーチとして毎日ひたすらコーチングをしている。こんなに自分にぴったりの仕事があったのに、なぜもっと早くからやらなかったのか不思議だ。それくらい天職に出逢ってしまった。コーチング。というか、これまでやっていたことにようやくコーチングという名前が付いたのだ。それぐらい、フィットしている。コーチング。
そもそもコーチングとの出逢いは、かれこれ10年ほど前、梅田望夫さんの『ウェブ進化論』を編集担当した福田恭子さんが『コーチングのすべて』という本を送ってくれたことがきっかけだった。「私が編集に携わった本なので読んでみて。れいこんさんに向いてると思うから」と寄贈してくれたのだ。コーチングの歴史から分類までアカデミックな論考が集まった書籍だった。実のところ難しすぎて、すぐに本棚の奥に閉じ込めてしまった。しかもその後、引っ越しの時に手離してしまった。なんという愚かさ(その後、また再入手した)。言い訳をすると、当時はまだコーチングという名前が世に知れ渡っていなかったし、私自身もコーチングをスポーツのコーチが読む本だと勝手に思い込んでいた。惜しい。あの時、ちゃんとアカデミックな論考を読む力が私にあって、コーチングの面白さに目覚めてすぐに飛び付いていたら、今ごろコーチングの世界で一角の人物になっていたかもしれない。知らんけど。そうは問屋がおろさない。神様は私に人並み以上の苦労をさせたかったのだろう。私はコーチングとニアミスをしながらもそのまま離婚問題やはてな退職問題や愛犬の死など、様々な苦悩とぶつかり、先の見えない闇のような日々に突進していった。おかげで言い表せないほどたくさんの苦悩を経験し、私は人というものを知った。人生というものを知った。世界と自分のあり方のようなものも少なからず知った。まだまだだけど。だからこそ、今、自分はコーチとしてそれなりに人の心に、生きとし生けるものに寄り添えている。
最高に晴れやかな日曜日、大原に行った。コーチ仲間のオッスンが東京からやってくるというので、愛車の赤いデミオを運転して大原にドライブした。三千院の庭でお茶を一服しながら語り合い、新緑の庭をそぞろ歩きながら語り合い、音無の滝へと続く「響きの道」を歩きながら語り合い、若者が運営するシェアファームのクラブハウスから田園風景を眺めながら語り合った。
「人の心の深淵に人と一緒に入り込んで、その人の願う方向へと進めるように寄り添いたいんだよ」
そんなことをオッスンに話した。オッスンは穏やかに光る瞳をめいっぱい細めて、「いいねいいね。れいこんだね」と受容してくれた。
新緑はひたすら輝いていた。目に入るものすべてが私に YES と言っているようだった。