木曜日。烏丸二条にほどちかい小さなイタリアンでディナー。生牡蠣と白ワインとネギのピザが美味しかったね。思いがけず素敵なブーケをもらって、しかも着ていた服と同じ色調でまさに私の好みでした。ベースの幸福感がしっかりしている人は、どんな状況も楽しんで、主体的な人生を作り上げられる。彼女はその典型的なモデル。まず自分が好きで、自分を優先できなきゃ、相手を幸せにできないものね。いろんなことを会うたびに教えてくれる女性です。今度は素敵な町家の新居にお邪魔させてください。
金曜日。休暇をとって午後から東京へ向かう。フリーだった頃は毎週のように乗っていた新幹線だけど、今はせいぜい年に数回。270km/hのスピード感に体と心がうまくなじめず、不思議な気分で車窓をずっと眺めていた。ブーツをぬいで三角座りして、ダウンコートを毛布みたいに前からかぶって、ただぼーっとiPhoneと車窓からの景色を交互に見ていた。幕末にオランダからやってきたシーボルトというお医者さんは、京都から江戸まで移動するのに17日間かかったとのこと。200年も経っていないのに、こんなにも移動速度がはやくなるなんて、違和感を感じるのも無理はないでしょう。東海道を歩いた江戸の人たちの旅を思う。ただならぬ理由で町を出た男や、想い人を追いかけた女や、飛脚や、奉公人や、僧侶や、歌人や...。安易に東西を行き来できる現代の我々では経験できない彼らの旅を思っているうちに、のぞみ228号は品川に到着した。
大切な人に挨拶をするのが今回の旅の目的だった。果たせて良かった。ほんの数十分の会話だったのに、目をそらしていた問題点を指摘され、頷く以外できない、というような助言をもらう。お邪魔できて良かった。今度は京都でお迎えしたい。
懐かしい昔の同僚たちと集まった。面白いぐらいそれぞれが個性を発揮して東京で活躍していて、フィールドは異なれど、かつて家族のように過ごした仲間ならではの気やすさで同窓会的ディナーは盛り上がった。思いがけずご馳走になってしまった。慰労会をありがとう。代々木上原ですっかり夜はふけて、終電がなくなったので井の頭通りから山手通りを渋谷方面まで歩いた。3年住んだだけでも、やはり生活した場所だから懐かしさと郷愁を抱きながらビルの谷間をテクテク進んだ。寒さと眠気に負けて、渋谷の手前でタクシーに乗り込んだ。
20代の頃、よく泊まっていた品川プリンスの窓より明け方のプラットホームをのぞむ。大きいばかりのこのホテルだけど、なぜかしっくりくる。部屋にいたのはほんの5時間ほどで勿体なかったけど、今回も”しっくり感”を味わいながら滞在した。お茶の稽古と文楽鑑賞を控えていたため、7時すぎののぞみ9号に乗って京都に戻った。品川から名古屋までは一心不乱に眠ったので、あっというまに京都に着いた。東海道を歩いた昔の皆様、もうしわけありません。
お茶の稽古をおえて、阪急にとびのって大阪の文楽劇場へ。昨年、チケットを譲ってもらい初めて文楽鑑賞したのが一年前のこの初春公演。もうあれからそんなに経ったのか。去年、初めて文楽に出逢った私が、今回、初めて文楽を観る友人のなかもてんを連れてきた。プログラムの技芸員リストの写真を見て、やれこのおじさまが渋いのよこの若い子が可愛いのよとミーハー話で盛り上がりつつ、鑑賞は真面目に。前のめりになり人形や太夫の語りを見つめるなかもてんの姿に満足。堀川猿廻しの段と阿古屋琴責の段の三味線がすこぶるグルービーでワクワクした。お客もノッていた。終わったあと、黒門市場の屋台でハリハリ鍋。脂ののったクジラと水菜のシャキシャキ感としょうゆだしの組み合わせが絶妙。そういや子どもの頃はよくくじらを食べたっけ。ハリハリ鍋は父の好物だったので、頻繁に食卓にあがっていた。続いて、なかもてん行きつけの北新地のバーへ。カウンターの母子が偶然にも翌日、文楽を初めて観に行くという。なかもてんが「たのしかったですよ!」と太鼓判を押し、母子も喜ぶ。またファンが増えるとよいな。初春文楽公演二部、愉しめます。
なんとか大阪の夜は終電に間に合い、堺へ。日曜の午前、実家のふとんから出られず昼前までヌクヌクと過ごす。どうやら京都では雪が積もったらしい。どうりで実家も寒いはずだ。ますます布団から出られなくなるも、台所からただよってくるおでんと炒め物の香りにいざなわれて、食卓へ。畑仕事から戻ってきた父が河内長野の地酒をふるまってくれる。実家の名物おでんは、だしが濃厚。かつおぶし、昆布、あご、干し椎茸のフルラインナップだそう。「最近よく行く店では、アサリやはまぐりを鍋底に沈めて隠し味にしているよ」と教えると「さすが京都の料理人!そりゃ美味しいはずや」と頷いていた。鍋底のはまぐり、ふつうはお客に出さないけど、年末に関東からのお客がどうしても食べたいと言ったので、その場にいたお客みんなにふるまってくれた。もう味は出てしまって身も縮んでいたけど、やっぱり貝って美味しくて、お願いして貝殻を洗ってもらって持ち帰った。今度実家に行ったら、おでんの鍋底に貝が仕込まれている可能性、大の予感。
午後、息子と実家の近所の公園であそぶ。冬の青空に、かつて父が「ブルーシャトー」とのたもうた実家の団地。そのふもとでブランコぶらぶら。私もぶらぶら。旅のおわりは故郷で骨休め。底冷えの京都に戻るのが億劫で、日が暮れかけてから南海電車に乗り込んだのでした。鞄にはジップロックに入ったおでんと母の特製イカの塩辛と塩むすび。これ持って再び東海道を歩いて東に向かいたい。そんな思いが脳裏をよぎった旅の終わり。