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ただ美しさのために草を取る

f:id:reikon:20120609125120j:plain:w250:right毎朝、20分ほど庭の雑草取りをしている。
ほおっておいたら色んな草が伸び放題になってしまう。
以前は丸一日かけて草取りをしていたけれど、まとめて作業をすると、しばらく庭に立つのが嫌になってしまう、でまた何日かすると草まみれになる悪循環。
なので、お寺の修行僧になったつもりで、少しずつ続けることにした。

実際、草を取りながら、色んなことを考える。
最初の頃は、
「なぜ自分は雑草を抜くのだろう」
「一部の花や木や芝は残しておいて、なぜ同じ植物であるにも関わらず雑草だけを抜いてしまうのだろう」
「選民思想やナチズムと同じではないのか」
「そもそも何の為にこんな面倒な草取りをしているのか」
...etc.

といったことを考えながら草取りをし続けていた。
たくさん考えた。かなり悩んだ。
ちょうど春から始まった大学の授業でも、魚好きの学生が生物多様性を守る取り組みについて発表していて、イヌイットの伝統捕鯨は認めてなぜその他の捕鯨はだめなのかとか、紀伊半島に多くすみついたタイワンザルがニホンザルと異種交配するのを避けるために駆除するのは人間の勝手な論理からではないかとか、琵琶湖のブラックバスはどうだとか、そういう話が出ていたので、余計に悩みが混沌としてしまった。
それでも毎朝、私はコツコツと雑草を取り続けた。
春になって、色んな草木に花がつきはじめた。雑草にもピンクや黄色の花が咲き始めた。
そうするうち、雑草のなかでも、姿かたちがきれいな雑草は取らずに残すようになった。
ゴールデンウィーク前のある日、ふと答えが見つかった。

「私が私の庭において雑草を取るのは、
ただ、”美しさ”のためだけだ」

かつては芝生が完全に芝生であり続けるため、芝に生える雑草は全て取り除こうとしていた。
けれど、徐々にクローバーやタンポポ、その他、小花をつけた愛らしい雑草は、そのままにしておくようになった。
その辺りから、悩みが解けたのだ。

「ただ美しさのために」

その理屈だけで、庭仕事をするようになった。
自分の庭だから、その思想が通じるのかもしれないが、美意識に基づいて行動することに嘘はない。ましてや自分の庭なのだから、害はない。

フランス人は、子どもの頃から母親に「美しい」という言葉を使ってしつけられる、と聞いたことがある(フランス好きの人が勝手につくりあげた伝説かもしれないが)。
所作や見た目だけではなく、行動についても「そんなふうにするのは美しくないよ」と生き方そのものも「美」という基準ではかることを教わるそうだ。
生活のあらゆる場面で、自分のなかの美の基準に照らして行動すること。
金銭欲や名誉欲や承認欲ではない、美意識にもとづいた価値観。
生きにくい今の時代だからこそ、大切にしていきたい。

写真は今朝、庭で摘んだ花たち。