泥とiPhone5

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 ランチしませんか?とゆきちゃんからメールがきたので、みっちゃんも呼んで近所の Cantina Rossi でイタリアンを食べた。Cantina Rossi は知る人ぞ知る生パスタの美味しい店で、店長はその昔は建築家だったらしい。イタリア仕込みのゴルゴンゾーラクリームソースパスタと、サルシッチャ(ソーセージ)とレンズ豆のオイルパスタは絶品だ。

 ゆきちゃんは言葉使いがとても丁寧で、メールでもきちんと「ですます」言葉で用件を伝えてくる。読んでいるとこちらの背筋が伸びる気分だ。つい私もいつもよりもちゃんとした敬語を使って返事をかえす。33歳までフランス語研究で大学にいたそうなので、その影響なのかもしれない。いや単に育ちが良いからなのかもしれない。ちなみに卒論のテーマは「不条理」だったそうだ。フランス語研究した学生が卒論で「不条理」を扱うというのは、いったいどういう展開からなのか。興味があるのでこんど見せてほしいと頼んでみよう。いやしかしフランス語で書かれているのなら読めないので訳してもらわないと。

 グリル野菜の前菜をつつきながら、3人で色んな話を始めた。スピリチュアル系サービスの特徴とその信頼性とか、伝統的宗教との違いとか、アレクサンダーテクニークの参加者の入れこみ具合とか、大人の男はいつ誰に悩み相談をしているのかとか、ゆきちゃんおすすめのカナダ人神父の話とか、人間性と幼児期の愛情欠如との関係とか、清課堂が七代目だけど京都にはまだまだ上がいて恐ろしい話とか、日本におけるフランス語研究の将来性の翳りとか、ゆきちゃんがこんど受ける新聞の着物取材の話とか、うんだらかんだらとか、そういうのをえんえんと話し続けて、メインのパスタを経てエスプレッソまで行き着いた。

「人間はねえ、泥なのよ、泥」

 ティラミスをつつきながら、ゆきちゃんが言った。新潟出身なので、基本は標準語だ。

「え、こないだ『水になる』って言ってたやん」

 つい彼女が過去、苦手だったという関西弁で聞き返した。

「だから、水になれればいいけど、本来はねえ、泥なの」

「それは、つまり、そもそも人間というのは色々な汚れをもっていて、ドロドロしてるってこと?」

 みっちゃんが老舗の女将らしく抜群の冷静さでたずねた。

「そうなのよ。不浄よ、不浄」

「さすが不条理が卒論の女」

「まあね」

 泥だと思えば、人間は謙虚にもなれ、努力もし、信心深くもなる、ということらしい。たしかにそうかもしれない。水になるには相当の自己浄化作業が必要だ。そのために人は色んなお努めをする。お遍路もするし滝行もするしデトックスもする。しかし我が身が本来、泥だなどと気付く人は少ない。だから人間界はドロドロしている。そこが世の厄介なところだ。

 みっちゃんがゆきちゃんおすすめのカナダ人神父の連絡先をメモした。こんど話を聞きに行きたい、という。「料金は?」と聞くと「そんなのいらないわよぉ」ということだ。どうやら高額寄附者の力添えによって神父の生業は保たれており、悩める一般市民の訪問に関してはカウンセリング費用は無料であるそうだ。支え合いだ。私もメモしておいた。

 2人と家の前で別れたあと、百万遍のソフトバンクに行って、iPhoneを新しくした。そろそろ新型が出るらしいけど、気にしない。担当の大富くんが対面で料金の説明をするときに私に向けて逆さに書く数字がとても綺麗だったので「なんでそんなに上手に逆さに書けるの」と聞くと「実はすごく練習したんですよー」と嬉しそうに答えた。数字を逆さに書くのはケータイ電話会社に務める者が身につけておくべきスキルなのだそうだ。試しに書いてみたら全然うまく書けなかった。左右が逆になる。

 人間が本来、泥だとしたら、私のドロ加減はどろくらい、もとい、どれくらいなんだろう。色んなものが沈殿しすぎてひどいものかもしれない。買ったばかりのシェイクみたいにストローで吸えないくらい濃度が高いかもしれない。あるいは多少はうわずみ部分が綺麗になっているのかもしれない。しかしそうでも一度何か衝撃を受けたら、また濁ってしまうのだろう。泥んこの私なので、せめて手にするiPhoneぐらいは綺麗な白を選んだ。

 新しい白いiPnoheには、メタリックグリーンのカバーを付けてもらった。前のiPhoneからデータの移行はせずに初期状態で、いちからアプリを入れることにした。色んなアプリが新しいiPhoneに入っていく。まっさらなまんま。プチ人生やり直し、という気分だ。そして殺風景なホーム画面には、今朝登った大文字山の登山道入り口の写真を設定した。あんまり良い感じに収まったので、吹けない口笛をピュウッと吹きたくなって、泥のことはしばらく忘れることにした。