忘年会ときんたちゃん

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一昨日の忘年会でも昨日のホームパーティでも、話題が乏しくなると誰彼ともなく「寒い」「京都さむい」「冷える」「寒すぎつらい」と言い出すほど、京都は一昨日あたりからグッと冷え込んで冬本番に突入してしまった。

Wikipediaによると、ヒトは特に高温への適応に卓越しており、一方で低温環境にも一定の適応性を有しているが、体毛での体温保持はできず低温には衣服で対応している部分が大きいとのこと。まっことその通り、毛糸のものでつま先から頭の先まで包み込んでそれでもなお寒いから家の中の暖房器具をフル回転させて暖をとるのに必死なここ数日です。

はてなの忘年会場に歩いて向かう最中、ともみーが私の着ているダウンジャケットの襟元の毛皮を指して「あったかそうですねー」といった。「これはキツネだったかなあ。あったかいよう」と返したら、「私は毛皮は着れないなー」というので「それは信条的に?」とたずねると「うーん、それもありますねえ」といった。

私も動物を殺して毛皮にすることを良しとはしないけれど、でも三着ほど襟元に毛皮のついた上着やストールを持っている。第一の理由はとてもあたたかいから。どんな分厚いマフラーよりもウィンドブレーカーよりも毛皮が首にあるほうがあたたかい。それだけ動物の毛は防寒性能が高いのだと思う。

毛皮を身につけているときに必ず思い出す絵本がある。昔に母が買ってくれた『きんいろきつねのきんたちゃん』という絵本だ。森で幸せに暮らしていたコギツネのきんたちゃんは、つかまえられて人間の家のペットになってしまう。大きなお屋敷で品行方正に暮らせずさまざまな問題を起こしてしまうきんたちゃん。ある日、パーティにやってきた美しい女性の首にまかれたキツネのマフラーがお母さんそっくりであることに気付く。パーティの最中、火事が起こっておおさわぎになり、そのどさくさにまぎれてきんたちゃんはお母さんキツネのマフラーをくわえて火に包まれた屋敷の外へと逃げ出した。そして、森のなかでお母さんキツネに包まれて、幸せそうに眠るきんたちゃんの姿で絵本は終わる。

哀しい話で、出てくる人間は酷い人たちばかりで、毛皮になったお母さんと遭遇したきんたちゃんはあまりに可哀想なのだけど、なぜか私はこの物語のクライマックスが好きで、いま自分が着ているジャケットのキツネの毛皮にふれる度に、この絵本の物語と絵を思い出して、せつなく甘くあたたかい気持ちに浸っている。

ともみーにごく簡単にきんたちゃんの絵本のあらすじを話し、「そんなわけで私、自分のところにやってきた毛皮を大切にしようと思ってるねん」と話したら「うんうん」とうなづいてくれた。ともみーにこの思いが伝わったかどうかは分からない。でも、聞いてもらって良かったなと思っている。

写真は、ひとり先に出た忘年会の帰りに通りかかった空きテナント。夜の通りに浮かんだからっぽの空間が素敵だった。もっと引きで撮影すれば良かった。

きんいろきつねのきんたちゃん

きんいろきつねのきんたちゃん