リッツクラッカー。真っ赤な箱に入った丸くて点々の穴のついたクラッカー。少ししょっぱくて油っこくて、噛むとザクザクという音がして、噛み続けると口のなかで徐々にやわらかくなって、食べ終わる頃にはクラッカーの内側のわずかな甘みと小麦粉のやさしい味わいに包まれて幸せな気持ちになる私のお気に入り。
中学生だったか高校生だったかの頃に、お腹がすいたときに家にリッツしかなくて、「ええー、これだけ?」と母に文句を言いつつ、冷蔵庫のバターをぬってイチゴジャムをのせて食べたら美味しくてひと箱ぜんぶ食べ切った。いったい何カロリーだったんだろうか。バターケースとイチゴジャムの瓶を目の前に置き、一枚食べるごとにぬって、ぬって、口に放り込んで、またぬって、ぬって、食べての繰り返し。あの「ひと手間かけて」いただく感じがよかったのかもしれない。以来、リッツは私の恋人になった。ポテチをひたすら口に運ぶよりも高尚な感じがして、リッツにバターにジャムだと、いくら食べても許される気がした。姉の高校時代の友人が有名な女優さんになって、リッツクラッカーのCMに出ていたのも好きになった理由だったような気がする。
大人になってからは、さすがにリッツでバターでジャムでバカ食いというのはなくなったが、子連れで友人とピクニックをするときなどに持参し、クリームチーズとマーマレードをぬってふるまったりすると、「きゃあお洒落〜」「美味しい〜」と常に好評だった。やはりあの「ひと手間感」がアウトドアの雰囲気も手伝って、ピクニック仲間たちを魅了したようだった。そんなわけでいつもピクニックの日には行きがけにスーパーでリッツの赤い箱を仕入れるのが常になっていた。
そんな私にとって心の友のような存在だったリッツクラッカーが、このところ愛用しているスーパーでは売られなくなった。かなり以前から日本での製造元だった山崎がライセンス切れでアメリカ本国のメーカーに引き取られたとは聞いていたが、リッツがスーパーから消えてしまうとは思っていなかった。
ゴールデンウィークの最初の日曜日は久々の友人たちとのピクニックの日だった。母から自家製のマーマレードが届いたので、「そうだ、いつものリッツでいこう」と張り切ってスーパーの菓子売場に突進したものの、なじみの赤い箱がない。いくら探しても見当たらない。店員に聞こうにもレジが長蛇の列で声をかけられない。困っていたら、リッツが置かれていたスペースに、ルヴァンという紺色の箱に入ったクラッカーが並んでいるのを見つけた。まだそれらの関係性を掴めぬまま、しかしなんとなくリッツの代替品としてはこれでいいか、と思って、紺色の箱を手にレジに向かった。
ちなみにこの日はクリームチーズではなくマスカルポーネにした。ふたつきのプラスチックケースに入っているマスカルポーネのほうが、やわらかくてピクニックの現場ではクラッカーにぬりやすいからだ。ここにたっぷりのマーマレードをのせて「はいどうぞ」と友人たちに提供すると「きゃあ〜美味しい」と今回も好評だった。そしてクラッカーそのものの味わいもリッツそのものだった。丸くなくて角を落とした四角(八角形)というものだったが。
帰宅してルヴァンとリッツの関係を調べると、どうやらライセンスを失った山崎が気合を入れて出した代わりの商品がルヴァンだったとのこと。ああ、そういうことだったのね、と腑に落ちたけれど、リッツという長年、心に寄り添っていた友のような存在を急に失った私としては、若干の喪失感に包まれ、しばしぼおっとしてしまった。
ほんの数ヶ月に一度、手に取るだけの関係だったけれど、あの赤い箱、丸い形、点々の穴、ザクザクの食感、口中でもったりとやわらかくなるにつれて浸み出てくる小麦と砂糖の甘さ。私にとっては、中学生の頃に大好きだった理科の松原先生(男子バレーボール部顧問)と同じように、たまに思い出してはやさしくあたたかい気持ちになれる大切な存在だったのだ。それは、いくら同じ製法、同じ美味しさを継承したとしても、紺色の箱の八角形のルヴァンでは満足できないのだ。松原先生は永遠に松原先生であってほしかった。
何をいまさらリッツのことでショックを受けてるねん、もう二年前の話やろが、とネットウォッチャーの人たちには言われそうだが、書かずにはおれなかったので、ゴールデンウィークの真ん中の暇な夜にリッツへのオマージュ?をしたためたのでした。
とはいえ、ルヴァンがあってよかったな。八角形のほうがお洒落な気もするしな。