思いつめる

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どちらかというと思いつめやすいたちです。

考えたからといって状況が変わるわけではないけれど、狭い路地を何度も往復するように、ぐるぐるとひとつのことを考えては悩み、思っては落ち込むたちです。それこそ「たちがわるい」というのでしょう(笑)

でも、思いつめた挙句に狂ったような言動に出る、というよりは、路地を行きつ戻りつするうちに、何となく次に進むべき方向が見えてきます。だから(今のところ)救いはあります。

お地蔵さんに繰り返し手を合わせるうち、あるいは同じ家の軒先の花を凝視しては、やり過ごしているうちに 「こっちこっち」と誰かが手招きするかのように、次の曲がり道が分かってきます。

思いつめる、という表現は、あまり良いイメージがありませんでしたが、先日、父の書棚にあった『思想の花びら』という亀井勝一郎さんの本でこんな言葉を見つけました。

無学な女が、生きるか死ぬかと思いつめて、海辺をさまよい歩いているとき、彼女は無学にもかかわらず、思想家としての基本的な資格はそなえている。
なぜなら、生死について「思いつめる」という心の状態なしに、思想の形成はありえないからだ。彼女が足跡を残した砂が、その悲しみの重さを知っているであろう。

これを読んで、ああ、私のたちのわるさだってまんざらでもないな、と安心したのでした(笑)。

もうひとつ、好きな句を。

蜘蛛は網張る 私は私を肯定する  (種田山頭火)

思いつめた結果、これぐらい開き直れたら上等なのでしょう。まだまだそのような域には達していないけれど。