りんごが無くなり冬が終わった

 

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締めくくりはPPAPだった。

大学の送別会で20人分の料理を作り、ウケをねらってりんごとパイナップルと棒状のクッキーをチーズケーキの上にあしらったPPAPケーキと称するデザートを作ったのだった。

大学の研究者のことだからピコ太郎を知らない人もいるに違いない、と踏んだら案の定当たって、

PPAP?なにそれ?IAAP(国際分析心理学会の略)なら知ってる」

「ええっ、PPAP知らないんですか?」

といった会話があちこちで聞こえ、ほくそ笑んだ。おかたいアカデミックのパーティで私ができるささやかな演出だ。

前置きがながくなったが、やっと、やっと我が家からりんごが無くなった!

この秋冬は、宅配の定期注文を思いきりミスって毎週のようにりんごが届き、りんごに追われまくった日々だった。

火曜日ごとにりんごが箱で到来し、夢にりんごが出てきそうな勢いだった。一時は iPhone のりんごマークが目に入っただけで憂鬱になるほど、りんご消費へのプレッシャーにさいなまれた。

一個たりともりんごを腐らせぬため、様々なお菓子にした。

役立ったのは、ドイツ料理専門家の門倉タニアさんの本やりんご専門のレシピ本。質実剛健なドイツの素朴なお菓子にはりんごが多用されていて、参考になった。

 

何度でも食べたくなる、わが家のレシピ ドイツの焼き菓子

何度でも食べたくなる、わが家のレシピ ドイツの焼き菓子

 

 

りんごのお菓子 (エイムック 2712 ei cooking)

りんごのお菓子 (エイムック 2712 ei cooking)

 

 

あと、ここには写真がないけどサラダだけでなく豚肉料理にもりんごを活用した。美味しいのはポットロースト。厚手の鍋で豚かたまり肉を焼き、りんごと玉ねぎなどの香味野菜を加えて白ワインかブランデーをふり入れて塩胡椒とローリエと共に蓋をして弱火で1時間ほど煮込む。いかにも冬の西洋田舎料理だ。

それから息子がインフルエンザになったときは、すりおろしりんごが大活躍だった。

以前に元夫の家に滞在していたとき、お腹をこわした息子に(元夫の現在の)奥さんがすりおろしりんごを食べさせてくれたらしく「あのすりおろしりんごがいいー」と病床の息子からねだられ、以来、うちでも体調の悪いときはすりおろしりんごが活躍するようになった。

ほかにもれんこんの塩いためやポテトフライなど、あちらの手料理をこちらでねだられて、そのままうちの味になる現象が多発している。また逆もあるようで、母の味と義母の味が混在する息子の「食歴」はずいぶんと多様で複雑なものになりそうだ。

家で食べる以外にも、たくさんの人にりんごのお菓子を作って贈った。りんごが嫌いな人や食べられない人はまずいない。低コストだけど喜ばれるお持たせになった。

消費するのに大変だったが、旬の果物をたくさん工夫して食べたことは、季節と共に暮らす人間の原点に近付けたようで結果的に良かった。

最後に、誰でも作れる煮りんごの作り方をご紹介。

りんごを好みの大きさにカットする。ふだん食べる大きさのまま煮たら、そのままデザートに出来るし、小さいくし形にすればヨーグルトのお供やケーキの材料になる。鍋にりんごを入れ、好みの量の砂糖をふり入れる。あっさりが良いならりんご一個に対して大さじ2〜3杯ぐらい。あればブランデーやラム酒、レモン汁などをふりかけてザッと混ぜて中火にかけ、水分が出てきたら弱火でコトコト、りんごがクタッと半透明になる程度まで煮る。

冷蔵庫で冷やしていただくと美味しい。1週間は持つ。砂糖が多ければもっと保存出来る。

そういえば、息子が初めて口にした固形物もりんごだった。夢中でかじって、そのあと盛大に軟便が出た(失礼)。

以下、成果の一部をアッピール!主にりんごスイーツ写真だよ。

 

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消えたプリント

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ヤマちゃんは息子の同級生で、うちのマンションから徒歩2分の町家に住んでいる。

息子はしっかりもののヤマちゃんが好きで、しょっちゅううちに連れてきて2人でマインクラフトをやっている。

月曜日、「ヤマちゃん、インフルになったんやって。金曜日までお休み」と言って帰ってきた。

そして今日の夕方、ヤマちゃんのお母さんからうちに電話がかかってきた。

「あっ、ヤマちゃんのお母さん!ヤマちゃん、大丈夫ですか?」

「もうすっかり元気になってます〜。ところで…」

「はいはいどうされましたか?」

「B先生(担任)が、うちの子のプリントや学校からの手紙をトキくんに届けてもらうよう渡してくれたと言うてはるんですが、持ってはりますか?」

ダイニングで宿題をしていた息子に聞いたら、「ん〜、届けた」とナマ返事をする。しかしヤマちゃんちは受け取ってないという。

さらに詳しく聞いたら、「ん〜、ポストに入れた」と言う。

ヤマちゃんちによると、郵便受けには入ってないという。

さらに問いつめたら、「ん〜、あの、学校から帰る途中にある、赤いのに入れた」という。ええっ!!

「えっと、郵便ポストに入れたってこと?あの、道に立ってる赤いポスト?」

「うん…」

「な、なんでやの?」

「ん〜、だってB先生が、『ポストに入れてくれたらええよ』ってゆうたし…」

受話器の向こうからは、ヤマちゃんのお母さんがむせび笑う声が聞こえてくる。

「すいません…担任の先生にはこちらから伝えます!」

「いえいえ、うちの方から言っときますわ〜。手紙ゆうてもたいしたもんはないと思いますし」

互いに笑いをこらえながら、電話を切った。

学校からのお便りを郵便ポストへ…。

たしかに家の軒先にあるのは「郵便受け」であって、「ポスト」ではない。

その後、学校に電話をかけて担任の先生に謝ったところ、「いえいえ、私の伝え方が悪かったんです。インフルエンザに感染したらあかんと思って『手渡しにせんとポストに入れてね』とお願いしたんですけど、たしかにポストゆうたら誤解しはりますね…」と、詫びられた。

肝心の手紙は封筒に小学校名が入っているので、おそらく戻してもらえるだろう、とのことだった。郵便局にはこちらから連絡します、と言ったが、先生が手配してくれるという。申し訳ない…。

当の息子は、思わぬ展開にポカンとし、少し涙ぐんでしまったが、「トッキーは悪くないよ。先生の言うとおりにポストに入れたもんね」という私の言葉にホッとし、宿題に戻った。

私はといえば、こちらの常識を超えた息子の行動にあっけにとられつつも、しばらく笑いが止まらなかった。

もうすっかり大人顔負けの言動でエラそうにふるまうけど、社会性はぜんぜん身についてないんだなあ。

だからこそ、大人は丁寧に、子どもに物事を教えていかなきゃならない。

思わぬ出来事で子どもの無垢なところにふれた夕暮れ時だった。

いや、ヤマちゃんには申し訳ないんだけど…。あ、担任の先生にも郵便局の人にも…すみませんでした。

写真は、昼間に焼いたポークソテー。出町柳商店街の肉屋さんで買った豚ロース、臭みがなくて美味しい。

インフルエンザと病床におけるウェブ生活

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先々週の木曜の夜、薄着が平気な息子がトレーナーを着込んで「さむいさむい」と言い出した。熱を測ったら、39度だった。

息子は小2の現在に至るまで、学校を1日も欠席したことがない。「この調子で皆勤賞を目指そうぜ」と(私だけが)張り切っていたので、「あ、これはヤバイな」と嫌な予感がした。

案の定、翌日になっても熱は下がらず、学校を休んだ。ガラガラガラ(皆勤賞の夢がついえた瞬間)。息子は特にショックを受けることもなく、むしろホッとした様子だった。意外と皆勤賞のプレッシャーがあったのかもしれない。いや、ただ熱でぼぉっとしていたのかもしれない。

気を取り直し、病院に行って検査を受けた。「お母さん、インフルA型ですわ〜」と予想通りの宣告を受け、タミフルと解熱剤をもらって帰宅した。

結局、息子の熱は2日で下がり、残りの3日は家のなかで元気に遊んで過ごした。

放っておいたらYouTubeWii Uざんまいになりかねないので、「デジタルものを1時間遊んだら次はアナログで1時間遊ぶ」、というルールで過ごした。

これが意外にヒットで、デジタルタイムは太鼓の達人やマインクラフトにいそしみ、アナログタイムには段ボール箱でチェストを作ったり、ボーリングをしたり、四目並べ(よんもくならべ)をして盛り上がった。

ちなみに四目並べは、木でできた縦型のフレームに色ちがいの駒を落として先に4つ並べた方が勝ち、という簡易版のオセロのようなおもちゃだが、これが奥深くて面白く、大人対子供でもじゅうぶん楽しめる(「木製 四目並べ」などでサーチしてみてください)。

普段は友達との遊びに干渉しない私も、ここぞとばかりに息子の遊び相手になった。すると、反抗的な態度が見事に引っ込んで、いい子になったのには驚いた。

学童保育施設で働く姉が、「子供は遊んでくれる大人の言うことは聞くのよ〜。ガミガミ言うだけの大人の言うことは聞かないのよ〜」と言っていた意味がよくわかった。ちなみに姉は、学童施設で小学生と一緒に一輪車にまで乗って遊ぶ、ノリのいい先生として子供の尊敬を集めているらしい。

息子の熱が下がって2日経った夜、私の身体に悪寒が走った。どうやら息子のインフルをしっかりもらったようだ。

おそろしい悪寒とだるさにおそわれているのだが、熱はない。どうやら予防接種を受けているから、高熱にならないようだ。

息子に留守番をさせて病院に行ったら、「うつりましたなあ〜お母さん」と先生。

学校の出席規定があるため、あと1日、息子は学校を休まねばならない。急きょ、近所に住むお父さん宅にお願いをして、息子の世話を引き受けてもらった。ありがたい、ありがたい。

そんなわけで、息子がいなくなった静かな部屋で、今度は私の闘病生活が始まった。依然として熱は上がらず36度台後半をさまようも、身体のしんどさは半端なく、ただひたすら24時間、眠り続けた。

その後、悪寒が徐々に減って、翌日には横になりながらiPhoneを眺めて過ごせるようになった。

そこで気がついたのは、「スマホがあれば寝たきり生活が全く暇ではない!」ということだった。

眠って、めざめて、布団の脇のスマホに手を伸ばす。

メールをチェックする、Facebookを眺めて、いいね!やコメントをする、時には投稿する、続いてinstagram、さらにTwitter、ついでにPathも見て、これでほとんどの知り合いの動向をチェックできたことになる。それからブラウザを立ち上げて、はてなブックマークと各種ニュースサイトを見る。

ひととおりこれらの閲覧作業を進め、またFacebookからのフローに戻ると、情報がアップデートされている。そんなこんなで二巡、三巡していたら余裕で時間は過ぎていく。

その間、LINEでたくさんの友人からお見舞いのメッセージが届いて、やりとりをする。中には、LINEで私のインフルを知って、夕食のおでんを差し入れてくれた友もいた。しみしみの餅きんちゃくと大根が美味しかった...。そしてまたLINEで感想とお礼を述べる。それをFacebookに投稿し...いいねが付き....。

おそるべし、ワールドワイドウェブ!インターネット!

そんな風に、病床でウェブにどっぷり浸かって時間つぶしをし続けて思ったのは、長いふとん生活でも、まったく退屈しなかった、ということだ。

もし自分が老人になって寝たきりになったとしても、この調子でスマホを眺め続けていたら、寝たきりもまんざらではないのかもしれない。

身体を動かすのはしんどい。でもふとんに転がりながらネットにつながって、人々の動向を追い続け、時にコミュニケーションを楽しむ。寂しくないし、飽きないし、世の中の動向にも疎くならない。

いま、ウェブに常時張り付きながら生活している身近な知人や若い人たちが、将来、老人になったとき、みんな、こんな風にして過ごすのだろうかと思うと、どんな潮流がウェブの世界にあらわれてくるのか、興味深い。

多くの人々が、寝たきりのふとんでスマホを握りしめ、TwitterFacebookでつぶやき続けるようになったとしたら、私の眺めるSNSはどんな風景になるのだろうか。

遺書や親しい人へのお礼の言葉をFacebookに投稿し、死に際の言葉をTwitterで発し、ブログには人生の思い出をしたためる。

そのときにはもっと病床でのネットライフが快適になるデバイスが普及しているのかもしれない。

終末期、ウェブサービスのアカウントを整理することが最も重要な作業になりそうだ。いまのうちに、登録アカウントのリストをしっかり保存しておくべきかもしれない。

そんな、「老いたあかつきのウェブ」を想像したインフルエンザの病床だった。

写真は差し入れのいちご。予想に反してかいがいしく私を解放してくれたパートナーに感謝。エアコンフィルター掃除もしてくれるので、ありがたい。