シェリー 純愛 サングリア

http://instagram.com/p/kcU-ztSqRA/
昨夜は、まみたと晩ご飯。寺町二条のスペイン料理、アントニオで。墨で描いたようなピカソリトグラフが目をひく白壁のインテリアが美しい店。ニンニクがたっぷり効いたタパス料理やパエリアが美味しい。食前酒のシェリー、グラスワイン、赤ワイン、サングリア、食後酒のオレンジリキュールまでひたすら飲んで、ひたすら話した。まみたは色んなトピックの度に笑ったり綺麗な涙を流して私の話に耳を傾け、誠実に返してくれた。
7時に入店して、店を出たときは0時をまわっていた。4時間たっぷり話したそのディテールは書かないけれど、名付けるならばテーマは純愛。そして出した結論は、しごくシンプルなものだった。ただ心から好きな人といて、好きなことをして、常識や周囲の余計な声にとらわれず、人生を愉しめばいい、ということ。心が求めるなら、求めのままに動けばいい。短い女の人生なのだから。
社会にはたくさんのルールがあって規範があってシステムがあるよね。それらにとらわれていないつもりでも、見えない矯正金具がいつのまにか自分を締め上げていて、身動きできなくなっている。暗黙のルールに反すれば、責めの声が自分を襲う。それは外からのようで実は内側からだったりする。抑圧しているのは周囲ではなく自分なのだと気付くのには時間がかかる。月並みな言い方だけど、自由であるにはタフで柔軟でなければならないってこと。
彼女は自分に正直で、極端な強さと弱さをあわせ持っているから生きるのが辛いんだ。それは私もおんなじで。だけど何も悪くない。もっと自分を愛して自分の今に諸手をあげてYes!!と叫べばいいんだよ。
店を出るとき、シェフのアントニオが雨のなか御幸町の角を曲がるまで見送ってくれた。春からはご近所さんだ。これから贔屓の店にしたい。
北に歩くつもりが、つい新京極を南に下って、いつものバーに向かった。路面清掃車が上げる蒸気を眺めながらヒールをならしてアーケードを歩いていたら、せつなさとぬくもりが心を浸した。今なら死んでもいい、なんて考えながら先を急いだ。

嘘とスキャンダル

 耳の聴こえない音楽家が作曲家にお願いして自分名義の曲をつくってもらい、その曲が本人の素性と共に注目を集め、その後も数々の(ゴースト作曲家作の)話題曲を出して成功をおさめてしまった。そして作曲家と関係を悪化させて全てが暴かれてしまった。そんな出来事が世間を賑わしていることを知った。

 その人の謝罪文を読んで、胸が痛くなった。彼の愚かな行為は、馬鹿にされても責められても仕方がない。でも一方で、ここまで大きな事件にはならなくても、嘘によって自分が追いつめられた経験を持つ人は少なからずいるのではないだろうか。

 何度かそんな過去があるので、私には今回の事件の当事者を簡単に責められない。ひとつ間違えれば自分も同じ様な状況に巻き込まれる可能性だってあるのでは、と背筋を冷たくした。それは幼児虐待事件の話題にふれたときも同じように感じるし、多くのスキャンダラスな事件にふれたときも同じように思う。「自分も一歩間違えれば同じ」と。

 とりわけ嘘は、いつだってつける。虚栄心を満たしたいとき、相手を怒らせたくないとき、らくをしたいとき。すきをついて現れた悪魔の導きによって、嘘が口をついてしまう。そこから先、どう発展するかは、自分ではコントロールできない。運よくそれ一回で収束することもある。さらなる嘘で補わねばならないときもある。嘘は口からこぼれ出た瞬間に、自分では手に負えない生き物になってしまう。

 黙っているだけでも、嘘になることもある。過去に自分が経験したことを相手に伝えなかっただけで、それも嘘と言われる。昔、あの人とつきあっていました。昔、結婚していました。昔、あの出来事に関わっていました。無言であることが罪になることもある。

 嘘はつかなければ良いならとにかくつかない方がよい。そしてついてしまった嘘は、できるだけ早く自分から告白して事を収めたほうがよい。今回のスキャンダルは、あらためて嘘をつくことで人が追いつめられるかを教えてくれた。過去の苦い経験の振り返りと共に。

 話題になっているゴーストライター問題の人は、そもそも嘘をつかなくても、作品のプロデュースなどで才能を発揮できたのではないだろうか。虚飾をとりのぞいた自分で勝負しても、じゅうぶんに人生には勝利できたかもしれないのに、可哀想だ。

巡礼

金曜日の夜中、窓をあけたらしんしんと雪が降っていた。しっとりと重みのある雪が直線的に空からおりてきて、いかにも適切な重なり方で庭の芝生に積もっていった。しんしんと、という表現がとてもしっくりくる降り方だった。少しずつ、確実に、世界が白くなっていくのをしばらく眺めていた。

朝起きたら、思っていたような銀世界ではなかった。気温が高かったのだろう。みぞれだか雨だか見分けがつかないものが降っていた。地面の雪はゆるいシャーベットのようでべっしょりと情けない風情だった。

昼、東京からやってきたゆかさんとみつきと息子のはるきくんを寺町二条のSinamoで迎え、ランチをとる。今年から新しい境遇になった私と会うために、東京から駆けつけてくれたゆかさんは、長身にスリムジーンズ、にび色の大きなピアスにロングネックレスと、あいかわらずスタイリッシュだった。スパークリングワインで乾杯し、ピザをつつき、店を出たあとは、みつきがはるきくんを連れて出かけてくれて、女二人でカフェコチでゆっくり話をした。

ゆかさんと別れたあと、夕方に息子を父親に預けて街へ出た。雪はもう雨に変わっていた。

いづみちゃんの花*花による新作お披露目ライブ。あまりに強い彼女の生命からのメッセージが伝わってきて、後半には自然に幾筋もの涙が流れていた。

良いかどうかとか、本物かどうかとか、手法がどうかとか、時代性がどうかとか、人は様々な評価軸をもって芸術を語るけれど、私にとっては些末なことだ。それ以前に評価する技量がない。ただ、体の奥底に戦慄が走るかどうか。彼女の歌は、ライブという言葉がふさわしすぎるほど、生きていることを実感させる歌だった。

ライブが終わったのが22時前で、うまちゃん夫妻と別れてライブハウスをあとにした。ひとり四条通りを堀川から東に歩き、高倉で南に下って鈴やのカウンターについた。

杉板を貼った壁、ステンレスの冷蔵庫、はるちゃんの涼しい笑顔、もんちゃんのまっすぐな瞳と無駄のない動きを眺めていたら、体のなかの芯がゆるゆるとほぐれてきた。閉店時間を過ぎてからも、もんちゃんと恋について話し込んだ。風変わりな冊子をもらった。ある人について書かれている冊子だった。死んだ人の遺した品のようだった。語られることも過去のことばかりだ。もんちゃんがその冊子をあげる、というか店に置いていても仕方がないのでもらってください、というのでバッグに入れてあけみさんのいるココボンに移動した。あけみさんにお願いして、完全に葬ってもらおうと思ったけれど、それはまだできなかった。

あけみさんの子どもの頃の夢は、金魚売りだそうだ。ひがな金魚を眺めて過ごしていたかったそうだ。「あけみさんにとっては、バーの客も金魚みたいなものでしょう」と言ったら苦笑していた。「紅の豚の、あの女の人にどこか似ているよ、れいこさんは」とあけみさんが言った。なぜかジーナさんがよく話題に出る。でももうポルコはいいかな。今はひとりお酒をのんで海を眺めていたい。

巡礼、という言葉がある。昨年は、村上春樹さんの作品でその言葉がクローズアップされた。師であり父を亡くした河合俊雄先生は父の死後、河合隼雄財団を創設するため生前に父と親交のあった人々をたずね歩いた。中沢新一さんは「僕にとって俊雄さんに会うことは、半分、隼雄さんに会うことでもあるんですよ」と俊雄先生に言ったそうだ。俊雄先生も同じだ、と言う。「父に近しい人をたずね歩いた日々が、僕にとっては巡礼だった」と振り返っていた。

思えば私も昨年の終わり以降、時間をかけて近しい人を訪ね歩いている。その目的は、表向きには報告であり、挨拶であり、意思表明であり、理解の求めであり、語らいであるが、その実は、やはり心を癒し鎮め、未来を生きるための儀式としての巡礼である。

この巡礼がいつ終わるのか。それは私にも分からない。死ぬまで続くのかもしれない。

心に残る冷たくかたい根雪が溶けるまで、まだ時間はかかるのだろう。けれど、多くの人の温かさとやさしさによって、確実に変化している。季節も、この私の心も。