幸せはこの手のなかに

f:id:reikon:20120807081503p:plain:w250:right4才になる息子は最近折り紙にはまっています。とりわけ手裏剣(しゅりけん)を折ってもらうのが好きで、ことあるごとに「しゅりけんおって」とせがんできます。
先日も例によってリクエストがあり、せっせと折ってあげていたのですが、すでに5つも6つも出来て小さな手のなかに手裏剣がいっぱいなのに、「もっともっと」と際限がありません。

私 「もういっぱいでしょ」
息子「だってもっと欲しいもん」
私 「あのね、”足るを知る”ってことばがあるんよ。わかるかな?」
息子「?」
私 「今あるだけでじゅうぶん、って思えば幸せになれるんよ」
息子「?」

・・・というような会話をかわして、息子の「もっと」を鎮めたわけですが、”足るを知る”のことばを自分で言っておきながら、思わずハッとなってしまったのでした。

そうなんだよね。”足るを知る”、なんだよね。

足るを知る、つまり現状で満足する。

これまでの私は、常に今の状況では満足できず、「もっともっと」とたくさん求め、他所の場所にある青い鳥までも探し求めていました。
もちろん自分の内面に不足点を見いだし自己を向上させる努力は大事ですが、そうではなく、現在の不足感、欠落感を人のせい環境のせい親のせい運のせいにして、常にフラストレーションをためていたのです。
そして「ここではないどこかへ」と思い続けていたのです。
それでは幸せになれない。だって、おそらくどう対処したって「まだ足りない」「ここではない」と思ってしまうわけだから。

以前観たテレビ番組で、コロンビア大学社会心理学者、アイエンガー教授が「幸せな人間というのは、欲しい物を手に入れた人間ではなく、手に入れたものを欲しいと思える人間だ(The happy people are not the ones who get what they want, but want what they get.)」ということばを紹介していました。
私にはいま素敵な家族がいて、友人たちがいて、自分を求めてくれる職場があって、衣食住が満ち足りている。そして、努力しようと思えば、もっと良いものになろうと思えば、なんの障害もなく取り組むことのできる環境にある。なんて幸せなんだろう!

最近、こんな風に思えるようになったきっかけのひとつは、ブータンという国の存在を知ったことです。6月から仕事をはじめたセンターには、ブータン学研究室という研究プロジェクトがあります。その関係でいくつかの講演を聴いたことで、「幸福大国」といわれるブータン人の気質や暮らしぶりを知りました。
インドとチベットにはさまれた小さな国、ブータンは国民の幸福度(GNH)を国策にとりいれたことで有名になりました。
熱心な仏教徒が多いブータンでは、仏様に祈ることが生活に根付いているそうです。生きていることに感謝し、輪廻転生を信じて功徳を積もうとし、自分や家族や他人の幸せを祈ることが自然と身についています。そのため、質素な生活でも常に笑顔がたえず、外国から訪れる人たちを驚かせているそうです。
自分が今生きているのは、自分個人だけの力によってではなく、さまざまな他の力によって生かされている。「おかげさまで」という言葉が自然と口をついて出るような、そんな謙虚さがブータンの人の幸福度を高めているのでしょう。
資本主義の考え方にどっぷりとはまっている現代日本にいる私は、他人と比較しながら「もっともっと」とおカネやモノや個人的な名誉を手に入れることばかり求めて生きてきました。そんな自分に「足るを知る」精神に目を向けるきっかけを与えてくれたブータン。そんなブータンに出会えた今の仕事場に感謝しています。

「隣の芝は青い」といいますが、つい他人と比べてうらやんだり、自分の足りない部分ばかり数えてしまう自分をやめて、今、ここにいることに感謝し、満足することこそが、幸せになる方法なんですね。
私自身が「足るを知る」ことで、息子の幸福感に良い影響をもたらすと良いなあ。そんなことを思いながら、今日も手裏剣を折っています。

年を重ねた息子と天使になったあの子

f:id:reikon:20120804141143p:plain:w270:right8月1日で息子、トッキーが4才になりました。
彼を産んだ日も朝からセミがジリジリ鳴く真夏日でしたが、波のように押し寄せる陣痛のせいで冷や汗が出て、暑さなどまったく記憶にない一日でした。
あれから4年。子供に翻弄され、自分の未熟さに打ちのめされ、人と繋がることの大切さに目覚め、たくさんのことを学んだ日々でした。
昨年までは誕生日をよく理解できず、ただ大人から祝ってもらっていただけの息子も今年は特別な日がくることを認識しており、指おり数えて当日を待っていました。
誕生日の朝、母子そろってニコニコと保育園の門をくぐりましたが、そこには泣きじゃくる友人(母親のほう)の姿がありました。
春に卒園した仲間の女の子が急死してしまったとのこと。あまりの出来事に言葉を失いました。
息子とも仲のよかった、やさしい女の子でした。いつも、ぽわんとあたたかい雰囲気を持っていて、我が家に遊びに来てくれたときも、しずかに、でも好奇心いっぱいに子供部屋で仲間と共に過ごしていました。
天使のような、という言葉がとても似合う、そんな清らかな空気を身にまとった女の子でした。
友だちから訃報を聞いたその朝、小さな命がとつぜん奪われた出来事を知った哀しみと、息子がひとつ年を重ねた喜びとが、まさにこのブログのタイトルのtapestry(つづれ織り)のように交差しました。
その後は、ふとしたはずみに涙、仲間と目が合えば涙、メールをやりとりして涙。やるせない思いでいっぱいの2日間でした。今も、心の底に重い石が沈んでいます。
もちろんその間も、息子とのバースデーを喜び、楽しみ、たくさんの大切な人たちから祝福してもらいました。生きている息子の成長を喜ぶ思いと、同じ価値を持つ小さな命がひとつ失われてしまった哀しみ、どちらも強烈で、まったくもって打ちのめされました。
昨夜は告別式でした。こんなに哀しく、愛であふれたお別れの会は初めてでした。彼女がどんなに愛されていたか、小さな命が失われることがどれだけ多くの人に打撃を与えたか、やるせない思いと愛しさにただ涙する私たちでした。
何人かの人が、マイクを通してお別れの言葉を話しましたが、みんな「ありがとう」という言葉を彼女に贈っていました。本当に、ありがとう、という気持ちが自然に出てきました。小さな命は、生きているだけで、私たちにたくさんのものを与えてくれるのです。そして失われたとき、どれだけそれがかけがえのないものだったかを知るのです。
あの子は天使になって、残された私たちは生きていきますが、心のなかでは生き続ける。そのことを、たしかに感じた夜でした。
残されたお母さんのことを思います。彼女のためにできることがあったら、なんでもしようと思っています。きれいごとではなくそう思っています。
人はひとりじゃない。とりわけ、何かあったとき、人ができるのは、言葉や態度や気持ちで寄り添ってあげられる。彼女にはそのことをどうか忘れないでいてほしい。どんなことでもいいから、多くの人を頼ってほしい。
人はどんな出来事からも何かを得ることができる。それが綺麗ごとではなく真実ならば、きっと彼女もいつか今の辛い状況から抜け出せるのだと信じたいです。
非力な私ですが、今は、ただ祈っています。

まだ歩き始めたばかりだけど

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hacobu kitchenで遅めのランチを食べている。
ここ数日、体がだるくて目覚めも悪くて、どうにもこうにも疲れの取れない日が続いていた。そんなときに食べたくなるのがハコキチのランチで、今日も滋味たっぷりのお味噌汁やトマトのマリネやさんまの照り焼きや根菜たっぷりのサラダに果てしなく癒されている。
食べものだけでなく、カウンター越しの麻ちゃんの笑顔にも癒されて、人けの少ない午後4時のテーブルで、ゆるやかな時の流れに身を置きながら、このブログをしたためている。
麻ちゃんと喋っていて、なんでこんなに体がだるいのか、そのワケがだんだん分かってきた。いろいろと、節目を迎えたからだ。
司会の仕事に復帰するために3月から通い始めたレッスンが今日で終わり、次の講座まで約一ヶ月間お休みになる。4月から聴講生として通い始めた大学の前期が先週で終了し、夏休みに入った。そして6月から始めたこころの未来研究センターでの仕事がもうすぐ2ヶ月になる。これはまだまだ続くけれど、ようやく業務内容や職場の雰囲気に慣れてきて、肩の力が抜けてきた。
そんなこんなで、いろんな意味でひと段落ついたから、無意識に脱力感に襲われていたみたいだ。
ここで立ち止まるわけにはいかないし、まだ歩き始めたばかりだけれど、やっぱり「ああ、なんとかここまで進んだなあ」と思いたくもなるし、ほっとひと息もつきたくなる。
おかげさまで司会業は8月に講演会の仕事をさせてもらうことになった。今から緊張しているけれど、ベストを尽くすしかない。
大学は予想以上に面白く、聴講生なのに一般の学部生と同じように授業の輪に入らせてもらって、楽しんでいる。今はレポート締切を二つ控えている。できたら来年は単位がもらえる科目履修生になりたいなあ、と欲が出てきた。
仕事のほうは、ウェブサイトのコンテンツを増やすため、カメラを片手にいろいろな講演会や研究会を取材したり、普通は入ることのできない最先端のMRI施設に入り込んだりと刺激的な日々だ。夫とはてなを始める前にやっていたライターの仕事と、はてなでやっていた広報ブログなどのコンテンツ作成の仕事が異様に生きている。
考えると大学の研究者は、ウェブサービスの開発者に似ている。研究者の活動や成果を世にアピールするために分かりやすい言葉や写真で表現するために四苦八苦している現状は、エンジニアの取り組みを紹介したり新サービスをPRするのに奮闘していたはてなでの日々と酷似している。
はてなでの仕事からほとんど引退し、さてどうしようかと考えていた春先の私に目をつけて、今の仕事を紹介してくれたうっちー先生(センターの准教授)は本当にすごい、
そう、多くの人に助けてもらっているなと思う。
司会のレッスンは毎週金曜の夜にあって、その日は3才のトッキーは「カワムラさん」というおばちゃんにお願いしてお留守番をしてもらっている。そして晩ご飯は、hacobu kitchenにお願いして、特注のディナーボックスを作ってもらっている。
カワムラさんも、毎週ご飯を作ってくれるハコキチの麻ちゃんもさっこも、とにかく私のことを応援してくれている。
小さい子供もいるのに、お金にならない(むしろ浪費している)学校通いまでして、なんでこんなに自分のことに必死になっているのかな、と思う。
じっさい、しんどくて逃げ出したいと思うことも多いし、夜はビールをのんでへたばってしまって、なんでこんなにヘトヘトになってしまうのかな、って思うこともある。
だけど、やっぱり今の私は幸せなのだ。
いつの時代も幸せだったけど、今の私は特に幸せだと思う。
もう人生も折り返し地点を過ぎた。だけど死ぬまでのあと数十年、カウントダウンではなく、やっぱりまだまだカウントアップしていきたい。
だって、学び始めたばかりだし、仕事もまだペーペーなのだから。
分かってる。もう若くないし美しくもない。
だけど、まだがんばりたいのだ。
カワムラさんが私を支えてくれるかぎり、ハコキチが美味しいご飯を作ってくれるかぎり、夫がはてなで死ぬほどがんばっているかぎり、両親が健在なかぎり、息子がいい子で保育園生活を送っているかぎり、しなもんがけなげに生きているかぎり、私は、私の幸せだと思う方法でがんばりたい。
ちょっと今は脱力していてしんどいけれど、しばらく休んだらまた張り切って歩みだしたい。
感謝の気持ちを忘れないで、週末は少しのんびりしよう。
そしてまた来週からがんばろう。