向春

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冬と春がせめぎあっていたここ数日ですが、遂に春が勝利をおさめたようです。そんなポカポカ陽気の一日でした。

日曜日のブログには、たくさんの☆やブックマークやFacebookコメントやTwitterでの反応などをいただき、ありがとうございました。

卒業 - tapestry

「卒業しすぎだろう」という言葉には笑ってしまい、ショックだという声には申し訳ない気持ちになりました。ねぎらい、励まし、呆れ気味の感想などなど、いろいろありましたが、みなさんのあたたかい気持ちが伝わってきました。

結婚、創業からずっと私たちは、インターネットにいる人たちと共に歩んできました。

あまり認識していませんでしたが、サイトを訪れてくれる人、とりわけはてなIDを持っている人は家族同然と思ってきたきらいがあります(少なくとも私に関しては。だから村だとかいわれるのでしょう。承知しています)。そのため、オフィスにいる様子も、アメリカでの生活も、出産も、しなもんとの日々も常にウェブ上でみんなと共有したい、という理由から発信してきました。

だとしたら、最後の区切りまでを全て報告しないと誠実ではないと思いました。気持ちを整理したいという意図もありました。そんな経緯で先日のブログを書きました。やはり良かった、と思います。

個人的にもたくさんのメッセージをいただきました。こちらからも送ることができました。これでいよいよ躊躇なく前に踏み出せるように思います。

ところで先日、現在勤めている大学で、元陸上競技選手の為末大さんと認知心理学者の下條信輔教授の対談セミナーがあり、印象に残った話がありました。

ある調査でスポーツ選手を対象に試合前と後にアンケートを取った結果、「気分がのらない」と事前に回答していた人が、勝利した後の調査では「はじめからうまくいくと思っていた」と答え、負けた人はその逆の答えをし、調査対象の約6割以上が「直感の後付け再構成」をしていたそうです。

そこから導き出せる教訓はいろいろあると思います。私は、上記のことを知って、「そうか、あまり未来について考えすぎなくてもいいんだな」と思いました。また一方で、たとえ勘違いでも「やっぱり直感は合っていた」とのちに思えるのなら、「後付け再構成」は人間が幸せに生きるために授けられた能力なのではないか、と思いました。

不安はありますが、ワクワクも感じている新しい季節。これからもたくさんの人と共に歩んでいけたらいいな、と思います。

卒業

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2013年12月末をもって、はてなを卒業しました。また、合わせて結婚生活からも卒業しました。

金曜日は、はてなの人たち有志が慰労会を開いてくれました。

はてなではいつもホストの役目で誰かを見送る立場だったので、自分がパーティの主賓なのが不思議な感じでした。四条御幸町のカフェは貸し切りで、ドアをあけると懐かしい顔が迎えてくれました。

幹事の労をひきうけてくれたid:chira_rhythm55の司会でパーティは始まり、id:jkondoが乾杯の挨拶と音頭をとって、id:nmyが作った342枚の写真からなる思い出のスライドショーを眺めながら、皆で呑みました。京都リサーチパークの4平米のブースで始めた2001年の創業期、東京へ移動しメンバーが増えた2004年、アメリカへ渡った2006年、京都に戻った2008年。大画面には懐かしいメンバーの姿やしなもんが映し出され、ネット上でユーザーさんを巻き込んで盛り上がった出産シーンまであり、はてなと私の日々が凝縮されていました。

振り返れば、2001年5月に結婚をした私たち夫婦は、お金も何もなく、jkondoの頭にあった「はてな」のアイデアだけが未来への切符として私たちの手の中にありました。2ヶ月後にサービスを開始し、思うようにヒットせずに受託開発を始め、幸いにアンテナとダイアリーが注目を集め、東京へ移って仲間が増えて、アメリカに移住し京都へ戻り、気付けば此処にいました。息つく間のない13年間でした。

慰労会で、id:chris4403から「思い出に残ったことは何ですか?」と質問され、とても迷ったことですが、「東京とアメリカに移住したときです」と答えました。そんな単純なものではないけど、やっぱり凄い出来事でした。また「いちばん辛かったことは?」なんてこともたずねられましたが、よく考えれば辛かったことと楽しかったことは表裏一体でした。

創業から共に過ごしたid:onishiくんがスピーチで「reikonとぼくは戦友のようなものだと思ってる。圧倒的な輝きで前を走るjkondoに付いていくために必死で二人で追いかけ続けた」と言ってくれて、本当にそうだったなあとしみじみ思いました。

たくさんの出逢いと別れがありました。偶然は必然だと今でも思います。世間知らずだった私たちですが、jkondoの類希な発想力と意志力と行動力と、何よりも周囲の人たちの支えによってはてなが育っていきました。

こうして、はてなという温かで住み慣れた場所を離れますが、私なりに役目は果たせたのかな、と思います。

はてなをやめた人は、たいてい「はてなを退職しました」というエントリーを書きますが、私はあえて「卒業」という言葉を使おうと思います。はてなを仕事の場として思ったことはなかった。私を育ててくれた場所でした。そして、卒業生なら、また母校に顔を出す事にできます。

それにしても、年末ではてなを離れて、距離のあいたところから眺めていますが、はてなほど面白くて居心地のよいところはないなあ、としみじみ思っています。だからこそ、やめた人たちが今でも集まればはてなの話題で盛り上がるのでしょう。

全ての物事は不変ではありません。だからこそ次の物語が生まれます。私は私の物語を、次の人生のステージで創り上げていきたいです。そして、はてなにはウェブ業界でもっと大きな存在感を放ってほしいし、多くの人に愛されるようになってほしい。何より中で働く人が、もっともっと輝いてほしい。そんなことを、慰労会でも話しました。

今は、私を創り上げてくれた全ての人たちに感謝しています。とりわけ、夢を追いかけて形にすること、自分にも他人にも嘘をつかずに生きることの大切さを教えてくれた近藤淳也という人と、惜しみない愛情とエールを与え続けてくれた近藤の両親に心から感謝しています。

そして、激動の日々を共にしてくれたはてなの仲間たち、変な会社の社長夫人を見守ってくれたはてなのユーザーさんたち、そしてここに至るまで、ずっと応援してくれた友人たち、苦しい時期に示唆を与えてくれた人生の先輩、今はもう逢えないけれど、かけがえのない時間をくれた大切な人にも感謝します。

今後は、引き続き京都に住みながら京都大学こころの未来研究センターの広報の仕事をがんばっていきます。どこかはてなのエンジニア達と通じる気質と雰囲気を持った、大学の研究者たちの活動を支援していけたら、と思います。

ちなみにこのブログは、jkondoより「はてな最古のブログユーザーなのでぜひ継続してほしい」という要請がありましたので(笑)引き続き、とりとめのない日常を綴っていきたいと思います。よかったら新しい私の暮らしをブログを通してご覧ください。

ありがとうございました。

一乗寺貼

http://instagram.com/p/kqr3cOSqcO/
自然言語で語られる現象だけを部分的に検証する脳科学でどれだけ心というものを探究できるのか?と哲学者が脳科学者に問うた。

自分の想いを表現する手段として言葉がある。

言葉はとても便利だけど、既に存在する言語の組み合わせによってしか表現できないとすれば、どれだけ語彙力に長けていても、どれだけ言葉の並べ方が上手くても、完璧に想いをあらわすことなどできない。

だから、書いても書いても、どこか違う、と感じる。

けれど、既存の言葉を寄せ集めて、想いをなんとか言葉にすることにもメリットがある。

多少のでっちあげでもいいから言葉にすることで、漠然と雲のように漂っていた想いが、それなりの存在感を獲得して、人に見せられる形になるからだ。

形になった想いは、人へのギフトになる。

深夜、あたたかい麦茶をすすりながら、あつみちゃん(id:attsumi)の作った「一乗寺貼」を眺めていたら、そんな考えが頭に浮かんだ。

あつみちゃんの町への想いは、漠然としたものではないのかもしれない。確固たる愛に裏付けられた明確な言葉がこの冊子を生み出したのかもしれない。その生産過程はわからないけれど、想いを言葉にし、写真を添えて形にしたことで、彼女はギフトを作り出し、人に手渡すことができたのだ。

世の中のすべての形あるものは、人の想いが形になったものだと思えば、世の中はギフトであふれていることになる。思考するだけではコミュニケーションは成立しないんだなあ、なんてことを、ツルツルのページをめくりながら思ったのだった。

昨日のお酒がまだ体に残っているようだ。

ほおいjwてあえkだpげsだk;f、えsdp

(言葉にならない酔いを表現してみた)