北大路カフェジーニョ

今から12年前、半年ほどカフェで修行をしたことがある。

同棲中の彼は大学院をやめ、カメラマンで生計を立てていた。いつかは自分で会社を起こしたい、という目標を立てての準備期間だった。

まだ起業の見通しは立っておらず、彼はあけてもくれても撮影のために早朝に家を出て深夜に帰る多忙な日々を送っていた。私は彼の生活を家事で支えながら、主婦ともフリーターともつかない身分で毎日を過ごしていた。それまでやっていたライターとMC(司会)の仕事は、同棲生活と両立させるにはハードだったために休業していた。

そんななか、カフェを開業することを思い立った。自分で店をするなら、マイペースでできるだろうともくろんだからだ。今となっては甘い考えそのものだが、当時はコーヒーとケーキ作りにのめりこんでいたので、本当にそう思ったのだ。

そこで、北大路通りにあるブラジルのバール風カフェで修行をさせてもらうことにした。「いつかカフェをやりたいんです」とマスターに話し、アルバイトで雇ってもらった。

なぜその店を選んだかというと、10席ほどのカウンターとテーブル席ひとつだけの小さな店で、マスターがほぼ一人で営んでいたからだ。しかもブラジルのバールという特徴があって、地元の外国人や学生がたむろする「京都っぽい」店であることも気に入った。

時給630円で、開店から夕方まで色んなことをした。ガラス磨きが得意で、大きな荷物を積んで自転車に乗れるので、買い出し部隊として重宝された。

コーヒーのドリップや、ランチで出すカレーやブラジルのソーセージ、リングイッサのグリルなども丁寧に教えてもらった。

当時50代なかばだったマスターは、もの静かでいちげんさんには無愛想だったけど、私にはとても良くしてくれた。バツイチで独身で、若い女の子と株が好きで、いつも肩が凝ったとぼやいていた。

働き始めてしばらくした頃、彼と入籍した。そして起業がいよいよ決まり、私も彼の仕事を手伝うことにした。

「どうする?別のことをする?それとも一緒にやる?」とまっすぐな眼で夫からたずねられた瞬間を、今でも鮮明に覚えている。

結局、カフェ開業の夢はあっさり捨てて、夫と共に仕事をすることにした。水仕事の多い半年間のカフェ修行で、病院に通わなければならないほど手肌の荒れが酷くなったことや、ひとりで開業するほどの気合いも資金もないことなど、色んな「あきらめ要素」があったのだと思う。特に未練なく、カフェをやめることにした。

これこれしかじかで夫を手伝うので、カフェをやめます、とマスターに言ったとき、カウンターの向こうに目をやりながら「・・・さびしくなるなあ」と、ぼそっとつぶやいた。けっこう気に入ってもらっていたんだなあ、と思った。

いよいよ会社を始めることになった2001年の夏、カフェを後にした。

そのあとは、必死の毎日が続いたことと、過去をふりかえりたくなかったこともあるのだろう、一度として店に行かなかった。

何度かカフェの前をクルマや自転車で通ることはあった。全く店の様子は変わっておらず、カウンターの奥で、うつむきがちにコーヒーをドリップするマスターの姿があった。

走り続ける私の眼からは、カフェは完全に止まっているように見えた。

3年後に東京へ、その2年後にアメリカへ、そしてその2年後に京都に戻ってきた。カフェをやめて7年経った夏に息子を産んだ。

今度は育児に必死の日々で、カフェをのぞく気になどさらさらなれなかった。産後、醜く老けてしまった自分をマスターに見せたくない、という気持もあったかもしれない。

それからまた3年経った昨年。

家の周辺にあった個人経営のクリーニング店が2軒も立て続けに営業をやめ、困りきって探したところ、北大路通りぞいに新しくできたチェーン店が我が家からクルマでアクセスしやすいことが分かった。

偶然にもカフェの2軒隣りだった。二ヶ月に一度ほど、クリーニングに通ったけれど、カフェの前は素通りした。

そしてまた1年ほど経った今日の午後。

なぜだろう。どうしてもマスターに挨拶がしたくなり、受けとったクリーニングの衣類をクルマのトランクにしまった後、カフェのドアを押した。

幸いにもカウンターには一人しか客がおらず、マスターの正面に座る事ができた。

「えっと・・・名前わすれてしもた」とマスター。予想どおりだ。

「12年ほど前にバイトをしていたれいこです」と言うと、少しだけ顔が明るくなり「ああ、ダンナが大阪ガスのところ(最初に入居したベンチャーインキュベーションは大阪ガス資本のKRP)に働くってゆうてやめた子やな」と思い出してくれた。

そこからは、この12年間の話しをお互いにして、ぎこちなかったはじめの時間が徐々になごやかなものになった。

夫の会社の名前こそ知られていなかったけれど、従業員が100人近い会社になったというと、「そいつはすごいなあ。あのときは何もなかったんやからなあ。ほお〜」と感心してくれた。

30年間使っているという、当時もあったミキサーや、壊れたままのレジや、真っ黒のコーヒーミルなど、まったく変わっていなかった。まさかのコーヒー200円という値段も据え置きで笑ってしまった。

ひとつだけ大きく変わったことは、マスターのかたわらで静かに働く女性が、8年前に結婚したという奥さんだったことだ。

化粧気のない穏やかな女性がいるなあ、と入店時から思っていたが、学生アルバイトと思って疑わなかった。しかし最後の最後に店を出る直前「奥さんですわ」と紹介された。26才年下だという。

好奇心全開でふたりを眺めコーフンする私に、「なんかなあ、気があったんやなあ」「そうやねえ」と静かに笑い合うふたり。やわらかくてほろ苦くて、甘くて渋くて、なんとも表現しがたい気持になった。

止まっていると思っていたカフェも、実は、大きな変化があったのだ。

あたたかい空気に包まれ、カフェをあとにした。「また来ます」と言って、コーヒー代の200円を払った。

おそらく近いうちに再訪するだろう。そしてたぶん常連になるだろう。クリーニングを出すたびに通う事になりそうだ。

今日はとても良い一日だった。

「原発と潜在認知」

9月5日から7日にかけての3日間、私の務めるセンターで「こころの科学集中セミナー 原発と潜在認知」という短期集中型の講義が行なわれています。

カリフォルニア工科大学の教授で、センターの特任教授でもある下條信輔さんが、自身の専門である認知心理学を通して原発をめぐる人間の心理について「潜在認知のバイアスと限界」をキーワードに考察し、ゲストと共に討論する試みです。

初日が終わりましたが、2時間余りの講義がものすごく濃い内容で、終わった後もどこか神経がピリピリと引きつったような感覚をおぼえました。

心理学の定説によれば、人間は本能的に身を守るためリスクを伴うと思われる行動を避けるといいます。一方で、直近で得られる利益にとらわれ、遠い将来にもたらされるかもしれない損害に対しては頓着が薄くなるそうです。

前者がそうであれば、なぜ人間はリスクが大きい原発にコミットしたのかと疑問を抱き、後者がそうであれば、なるほど目先の利益優先で長期的な問題点からは目をそむけたのかと納得します。

人間の「叡智を結集」して作ったエネルギー装置、原発に対して、なぜその叡智をリスク管理や事故対応に対しても十分に注ぎ込めずに結果的に被害をもたらしてしまったのか、人の「ものの考え方」=思考パターンや「知らず知らずの」=無意識の行動が、どう原発事故に影響したのか、セミナーでは下條先生の深く鋭い考察が様々な実験結果やデータと共に展開していきます。

原発については様々な考え方がありますが、このセミナーは原発の賛否を問うものではありません。「ヒトの認知能力にはもとより大きなバイアスがあり、限界もある。 知覚、注意、記憶、情動、意思決定。そうした、認知機能のあらゆる側面にわたるヒトの本性は、そもそもこのような巨大システムの危機管理と相容れるのか否か」という心理学の側面から原発との向き合い方を考えることで、新しい視点を与えてくれるものだと思っています。

残り2日間で、どんなお話が聞けるのか、こころを研ぎ澄まして参加したいと思っています。

秋きたる

f:id:reikon:20120903124937j:plain:w250:right週があけて、風も雲も空もすべて秋のものになりました。

今年の夏は暑かった。

そして例年になくキラキラと充実した季節でした。人との出会い、ふれあい、学び、気付きに満ちた夏休みでした。

ひとつの季節を終えて、涼やかな風にふかれると少しセンチメンタルな気分になります。でも、また新しいワクワク感に満たされているこの頃です。

週末は、ひとりぶらりと岡崎に出かけて能と狂言を観て、素敵なカフェと出逢いました。土曜の夜は息子の保育園でのパーティでさんざん仲間と交流して大量のアルコールを摂取して酔っぱらって少し後悔していますが(笑)、とにかく愉快な時間でした。

日曜日は二日酔いでふらふらしつつも朝から地域の防災訓練に参加し、小学校の校庭で町内会の人たちと交流しながら消防士さんのがんばりに声援を送りました。午後からは息子との約束を果たすべく京阪特急に乗って大阪へ。淀屋橋から水上バスのアクアライナーに乗り込んで、大阪城まで40分間のクルーズを愉しみ、大阪城公園で遊んで帰ってきました。

大阪の水上バスは10年ぶりぐらいに乗りましたが、あらためて水の都の歴史と風景を味わうことができて素晴らしかったです。

昔の人々がこの水路で日々の営みを繰り返していたのだなとか、京都の伏見まで続くこの川をたどって、武士や商人たちが大阪と京都を往来していたのだな、とか考えると、自分が都の歴史の一員であるように思えてワクワクします。

そして辿り着いた先は大阪城のお堀端。戦乱の世、自分の先祖がその時どこにいたのか、何をしていたのか、そんなことにまで思いを馳せて、船に揺られた小一時間でした。

アクアライナーは、この時期は一日に何本も出ていて、気楽に水の都を周遊することができます。

それにしても色々と活動した週末でした。良かった。

調子の善し悪しはありますが、やはり思い立ったが吉日で、えいやっと楽しむ、色んなことに参加することで、結局、元気になれるんですよね。

何もしないことが罪悪ではないし、何もしないことで浮き上がるきっかけが得られることもある。けれど、今の私には「何でもする」という選択肢のほうが向いているようです。

無理をせず、自分の興味や好奇心に素直になって動いてみる。すると自分と外部を隔てている重い扉が少しずつ軽くなり、身動きがしやすくなる。

この秋も、佳い出会い、ふれあい、学びが得られる日々になりますように。

私の身近なみなさん、ぜひ色んなことに声をかけてくださいね。よろしくお願いします。