生活のなかで生きる

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使うことのなくなった深いすり鉢の底にドリルで穴をあけてもらい、植木鉢にかえた。

子どもも植物も育てることはとても難しい。変化をうけとめ変化を促す。そのためには自分自身の土台が健康であらねばならない。

この家に越してきて4年が経った。家族の形態を変え、住まいを変え、意気揚々と突き進んできたけれど、一方で激しい変化のなかで暮らしてきた疲れがたまってきたことも実感している。

新しいことを始めるのは楽しいが、続けるフェーズに移行したとたんにしんどくなるのが私の弱点だ。いま、そのしんどさと向き合う時期に差し掛かってきた。

たぶん理想を求めすぎなのだ。こうありたい、こうなりたい、という欲に満ちているから、そこに届かない今がしんどい。

とりわけ育児。子どもというのは常に不完全な生き物であるから、日々、理想と現実のギャップにさいなまれ、へとへとになる。

こうしたしんどさから逃げることや断ち切ることが解決策だと思ってきたけれど、感じ方や思考を切り替え、生活を整えることが幸せになる道なのだろう。

当たり前の日々をきちんと過ごす。良い出来事も面倒な出来事も、フラットな心でうけとめる。いろんな人やものを相手に淡々とキャッチボールするように生活のなかで生きる。そのために、健全な生活と心身を維持する。

らくをして幸せになれることはないのだな。だからこそ生きる価値があるのかもしれない。

ベランダのお客さん

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3月末で京大の仕事をやめることにしたら、気が抜けたのか、ここ数日ひたすらぼおっとして力が入らない。食欲だけはある。

朝、息子を見送って、そのまま布団に戻り、次に覚醒したのはお昼前だった。

なんとか起き上がって、洗濯機をまわして、部屋をそれなりに整理した。息子の散らかしたゲーム類をまとめ、テーブルから落としたパンくずをほうきではいて、布団を片付けたら気分が幾分かスッキリした。

そういや今日はまだベランダに例のものを置いてない、と思い立ち、みかんをふたつに切り分けて、ベランダへ。

木の棒に刺して、コンクリの手すりに置いた植物のカゴから突き出すようにセットすれば、あとはお客さんを待つだけ。

ほどなく緑色の小さなメジロがやってきて、みかんをつつき始めた。果実をほじくり出して、嬉しそうに食べる。

小さくて、目がくりっと黒くてまわりが白くてマンガみたいで、ちょこまか動く様子がなんとも可愛い。鳥好きの気持ちがわかるような気になってきた(「ふん、初心者め」と言われそう)。

テーブルにひじをついてあごをのせて、ただただ眺めていると、お腹がすいてきた。

ホーロー鍋にお湯をわかし、パスタを茹でる。そこへブロッコリー、キャベツ、しいたけも入れて2分ほど置き、野菜だけ先に取り出して皿の1/3に盛る。オリーブオイルをまわしかけ、ヒマラヤンソルトをふっておく。

茹で上がったパスタは、市販のたらこソースとだし醤油で味付けをして、野菜の皿の残りのスペースによそう。きざみ海苔をのせて、全体に黒胡椒をふる。

ごく簡単だけど、茹で野菜がとても美味しい。しいたけは菌床栽培よりも原木で育ったもののほうが香りが濃くて私は好き。

昼から白ワインを飲もうかと一瞬、冷蔵庫に向かったが、なんとなくアルコールの気分ではなかったので、レモンを絞った炭酸水にした。

パスタを食べながら、『騎士団長殺し』のはじめの数ページを読んだ。なぜかパスタにはハルキ小説が合う。

簡単なパスタだったけど、満足した。パスタ料理は私のリセット料理だ。

ぼんやりしていたら、お次はヒヨドリがやってきた。鳩よりもひとまわり小さいグレーの鳥は、地味な見た目の割に、鳴き声が甲高くてあまり品がない。

せわしなくみかんをつついて、しまいにはくちばしで棒からみかんを皮ごとひっぺがして、ベランダの下に落っことしてしまった。

「えらいこっちゃあ」といわんばかりにピイィーと鳴いて、そのまま飛び去って行った。

2時をまわったので、着替えて自転車に乗って小学校へ行った。今日まで校内のオープンスペースに秋の遠足と社会見学の写真が掲示されていて、子どもの写真を選んで注文しなければならないからだ。

「ぼくとYさんが写ってる写真、注文しといてよ」と息子からなんども念押しされていたので、約束は守らねばならない。

オープンスペースに行ったら、膨大な数の写真が掲示されていた。そして同じような子供の顔ばかりが写った同じような構図の写真が何百枚、いや、通し番号からして千枚以上ある。ここから息子の写真を探し出すのかと思うとめまいがしたが、結果を出さねばまずいことになると観念し、1枚1枚、息子の顔を探す。

「えっと、たしかね、890番ぐらいやったで」とあらかじめ息子からは聞いていたが、案の定、890番にはまったく違う子どもの顔が写っていた。

結果、Yさんとのツーショットは1430番だった。そしてそのほかにも息子の笑顔を見つけたので封筒に番号を記入し、お金を入れて(スナップ1枚100円を5枚、集合写真1枚500円を2枚で計1500円)、息子のクラスに向かった。

ちょうど終わりの会が終了し、教室からたくさんの子どもが出てきて、息子も友だちと喋りながらこちらにやってきた。

「なんでいるのん?バイバイ」とそっけなく靴箱に走って行ったが、きっと嬉しかったに違いない。

教室にいた担任の先生に封筒を渡し、ミッションコンプリート。

家に帰ったら、息子が「Yさんとの写真みつけた?注文した?」と聞いてくるので、「注文したよ!890番とは全然ちゃうかったけどねー。1430番やったけどねー」と恩着せがましく返しておいた。

マリオカートゼルダに興じる子どもたちを横目に洗い物をして、定位置のテーブルに腰掛けた。夕方なのでベランダに鳥はいない。

そういやヒヨドリのピイィーという鳴き声は、子どもの騒ぎ声と似ているなあ。ちょっと神経にさわるところも。

姉が私のinstagramを見て、自分ちの庭でも同じことをやっている〜、と同じくinstagramで庭の写真をアップしていた。認めたくはないが、血は争えない。

砂糖水も鳥が喜ぶ、と姉がコメント欄で書いていたけど、鳥は虫歯にならないのかしら、と心配になった。

とりあえず、しばらくはみかんでいいかな。

晩ご飯は、鯖(さば)の塩焼き、豚汁、サラダ。

息子が鯖をいたく喜んで、ものの3分ほどでたいらげた。これまで鮭ばっかり出していたけど、鯖も好きだったとは知らなかった。経済的だし、これからどんどん使っていこう。鯖。

ドイツのやわらか湯たんぽ

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ホカホカの湯たんぽが活躍する季節になりました。

カリフォルニアに住んでいた頃、最高に気持ち良かった夏とうってかわって、11月からの雨季は寒くて晴れ間がなくて辛い日々でした。おまけに家の南側が鬱蒼とした林だったから、たまの晴れの日にすら家に日差しが入らなくて、いつも身体の芯から冷えていました。

およそ2年間の米国滞在でしたが、最後の冬は夫が先に帰国して、だだっ広い家で私と犬だけで過ごしました。夏にはあんなにたくさんの人が日本からやってきて毎日のように庭でディナーを楽しんだのに、街路樹の色が変わる頃にはすっかり状況が変わってアメリカを離れる話が持ち上がり、ちょっぴり不安な季節が到来したのでした。

住んでいたマウンテンビューの白くて古い家のセントラルヒーティングが効かなくて、電気ストーブをつけるとすぐにブレーカーがとぶし、暖炉は怖くて使えない。苦肉の策として、Amazonで湯たんぽを見つけて注文しました。

当時はAmazonですらネットで買い物をしたら到着まで1週間、長ければ半月かかることもざらで、この湯たんぽの到着がどれほど待ち遠しかったか!!

湯たんぽは、ドイツのFashyというメーカーのもの。お湯を沸かして、そっと注ぎ入れて栓を閉めたら、ぷっくりとふくらんで、見た目にも可愛い。毛布やひざ掛けの中で抱きかかえると、移動式のこたつのようにあたたまります。

初めてお湯を注いで抱きしめたとき、嬉しくて、身も心もあったまって、小さな湯たんぽに手を合わせたくなるほどでした。

この手の湯たんぽ、今では日本でも人気なんですね。探してみたら、売っていました。

思いがけず、厳しい寒さに打ちのめされたカリフォルニア暮らし。

寒くて心細くて、でもお腹の中にいる小さな命と足元にいる老犬と共に、大好きなアメリカで暮らしているという事実だけで幸せでした。

ポカポカの湯たんぽをお腹にのっけて、犬の背中を撫でて過ごす夜。何をするともなく過ごしていた日々。孤独だったけど、楽しかった。

独りだった私を気づかって、ランチやディナーに誘ってくれた梅田さん夫妻やNaokoさん、近所に住んでいた不動産屋のおばさん(名前を忘れてしまった)、日本からやってきて、私を頼ってくれたスタートアップの若い人たち。ささやかなコミュニティに守られながら、彼の地の暮らしを私なりに満喫しました。

木枯らしの吹く寒い昼下がりには、あの頃を思い出します。