2012-02-14

ユーカリ

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秋に植えたユーカリの苗が少しずつ育っている。

何も手をかけていないのに、地面からすっと枝葉を伸ばし、足元には小さな雑草たちを従えて。
私の目には見えない速度で、でも着実に空に向かって生長している。

ユーカリを見ながら、死んでいった人たちのことを思う。
自然の刃で命を奪われた人のことを。
また、みずから命を絶った人のことも思う。

私のことを思う。
まだ枝葉を伸ばしたいという思いの側面には、命を終えることへの意識も張り付いている。

ユーカリはみずから命を終了できない。
人である私はちがう。
死を意識しながら枝葉を伸ばそうと欲求する私は、ユーカリとはちがう。
往生際の悪さという土壌で、矛盾と迷いの養分で生きる。
地の中であえぎながらもがきながら、この庭に根ざしたユーカリと共に、もうしばらくは新しい枝葉を伸ばしてゆきたいと願う。
他人の目には見えない速度であっても。

そしていつかどこかで...。
朽ち果てたときには、私の枝葉を、どこか深い森の奥に横たえてほしい、と願う。

まだ私の腰ほどの高さであるユーカリが、向かいのマンションの目隠しになるほどの背丈に伸びた頃には、色々なことが変化しているだろう。

今日を生きていれば。
あえぎながらもがきながら、枝葉を伸ばしていれば、遠い明日には答えが出ているだろう。
そこにまた新しい問いが生まれていたとしても。

2012-01-21

夜に吸い込まれてゆく

ふとんにPCを持ちこんで寝そべっていたら、夜がわたしを柔らかであたたかくてもやもやとした世界にいざなって、どうしようもなくなってきたので寝ようと思う。

誰かを愛せても、世界を愛せなかった。
今は、どちらにも、ほどほどに好意を持っております。

2012-01-09

死んだ人からのメール

昨年の夏、お世話になった方が癌で急死しました。まだ60代の若さでした。

その人の死を知ったのは、その人から受けとったメールからでした。
正確にいえば、その人のメールアカウントを使ってご家族がメールを送ってこられたのでした。
びっくりした方、ごめんなさい。
でも、まさか本人以外の人が利用するとは予想しがたいケータイメールでの知らせだったので、かなりギョッとしたのは事実です。
おそらくその方の死後に、ご家族がありとあらゆる方法でその方の知人に死を知らせようとして、ケータイを紐解いて送信作業をされたのだと思います。

最後に私がその方にメールしたのは、亡くなる3ヶ月ほどだったでしょうか。「また一緒に食事できることを楽しみにしています」といったことを書いたおぼえがあります。
そのメールに返信する形で、ご家族から死亡の知らせが届いたのでした。私のiPhoneに。
今でもショートメールの記録をさかのぼると、その方とやりとりした幾つかのメールのログが残っています。そして、最新の一通だけが、異彩を放っています。

他の友だちや家族とのやりとりに埋もれて、死んだ人とのやりとりも、ログに残っている。
ふと、もう一度メールを送ったら、返事がくるかしら、などという思いがよぎる。
いやいや、きっともう電話は解約されて、そのアドレスも無効となっているだろう。

そういえば、誰かが「自分が死んだときに知らせる最も有効な手段はFacebookだろう」といったことをつぶやいていました。
自分の死後、どのようにして、知人に私の死が知らされるのでしょう。
私のメールは全て家族によって開封され、知らせるべき人、知らせる必要のない人の分類がなされるのでしょうか。

あくまで前を向いて生きており、死んだときのことなど考えたこともなかったけれど。
今日、たまたま息子と電車で遠出をしたとき、亡くなった方が入院されていた場所の最寄り駅を通過して、夏の思い出が蘇ったのでした。

2012-01-01

2012年のはじまりに思うこと

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新しい年があけました。
手のかかる3才児にほんろうされながらも、ゆったりとしたお正月を過ごしています。
そのおかげで、子どもの相手をしたり家族と語らう合間に、そっと自分の内側をみつめる作業にふけっています。
昨年のことをふりかえったり、今年のことに思いを傾けたり...。まだクリアではありませんが、少しずつ自分のことを見つめる自分のレンズの焦点が合い始めていることを感じます。

2008年夏に子どもが生まれてから3年。
今までは、自分をみつめる余裕はかけらもありませんでした。
あれほど待ち望んでいた子どもの誕生でした。
けれども育児の日々を重ねるにつれ、自分のなかで「失ったもの」の方が大きく感じられるようになりました。それを必死で取り戻そうともがく日々が始まりました。
子どもを生後4ヶ月で託児所に預け、はてなに復帰しました。かろうじて空いていた総務部のポストにつきましたが、会社はどんどん組織化されていき、「社長の妻」兼「アルバイト」という特殊な立場では、どんどん仕事がしづらくなっていきました。
あるときには「この人は社長夫人だから、会社でいちばんパワーを持っているんだ」と新入社員に紹介されたり、あるときには「アルバイトだから何の権利もないくせに」といわんばかりの態度をとられることもありました。
総務部で行き詰まったあとは、ものを書くことと、対外的なつながりを生かそうと、マーケティング部に異動し、PR職につきました。
仕事自体は自分に合うものでしたが、朝8時半に息子を保育園に送り届け、家事を片付けて10時に出社し、夕方のお迎えの時間まで働く日々は、あまりにハードでした。
社内でも、やはり「社長の奥さん」という見方で接する人たちの目と、自分の「普通に仕事をがんばりたい」という熱意が微妙にすれ違い、がんばってもがんばっても、空振りをしているような無力感に襲われました。
実際、能力が足りなかったのだと思います。
社内でもがけばもがくほど、自分のことも周囲のことも見えなくなりました。今では恥ずかしいようなふるまいをスタッフに対してしてしまったこともありました。
そんななか、会社はどんどん組織化が進み、私の知らないあいだに社員が増え、知らないあいだに退職し、懇意だった古いスタッフもほとんどが姿を消しました。
ある日ふと、「もう、もがくのはやめよう」と思いました。そして、仕事を大幅に減らして、在宅で最低限のお手伝いをすることを決めました。
そのときに書いたのが、このエントリーです。

少し離れたところから/変化するはてな - tapestry

それが1年半前のことでした。

その後も週に一度は出社し、スタッフとコミュニケーションを取りながらも、私の軸足は確実に「家」と「家族」になりました。
けれどもそれは、自分の思い通りにならない息子との関係や、圧倒的に増えた自分の時間に、戸惑う日々の始まりでもありました。
年があけて2011年。ひとりで家にいた3月11日に、東北大震災が起こりました。
西日の当たるリビングルームで、たったひとりで、衝撃的な津波の映像をまのあたりにしました。恐怖で体が震えました。
それでも京都での暮らしは何ひとつ変わらず。何もアクションが起こせないなか、地震とは別の理由で大切な知人が亡くなりました。人の命や今いる世の無常を痛切に感じ、はかりしれない虚無感におそわれました。
悶々とする日々が続くなか、子どもからは自分の貴重な時間を、人生を奪われているような焦りを感じ、ゆるやかな鬱状態がずっと続いていました。
夏にはまたひとり別の知人が、苦しい闘病生活の末に亡くなりました。20代の頃に教えを乞うた師匠でした。また失ってしまいました。
夫ははてなをはじめとする様々な活動に走り続けている。被災地支援のボランティアに精を出すお母さん友だちやプロフェッショナルな仕事で活躍する友人も多数いる。そんななか、私は何もできない、何も残されていない、奪われてばかり。
先の見えないトンネルにはまりこんだような日々が続きました。

結局、自分で自分の環境や能力に限界線を引いていたのだと思います。
失ったものを数える作業しかしていなかったのだと思います。
何も失ったものなどないというのに。

少しだけ、自分のなかで変化が出始めたのは、12月も中旬になってからでした。
特に何かきっかけがあったというわけではありません。でも、おそらく悩みや憂鬱が底を打ったのでしょう。それなりに苦しみ、もぐったおかげで、ふっきれた、とのかもしれません。
それから、夫から薦められた「7つの習慣」という本を読み始めたことも、良い影響があったようです。ビジネスマンを中心に読まれている、いわゆる自己啓発書ですが、自分のものの見方を変えるにはもってこいの示唆に富んだ内容でした。この本は今でも手元に置いて、感じたことをノートにかきとめながら読み続けています。
苦しんだ末、ゆきついた考え方というのは、
「今の自分を肯定するのも否定するのも自分次第」
「失ったと思っているけれど、ただ変化した状況に自分が向き合っていないだけ」
「人は今までの自分とまったく違う人間にはなれない」
「今までの積み重ねを生かして、今の自分をせいいっぱい生きるだけ」
「周囲がひどい仕打ちをしたとしても(そう感じても)、どう対応するかは自分次第」
というものでした。

これらのことは、ふつうの人なら自然に理解し、行動に反映させられるものだと思います。
けれども私はひどい被害者意識とネガティブなものの見方にとらわれていて、自分を縛り続けていました。
苦しんだ末、小さな光を見いだせた今、少しだけ気持ちが楽になりました。
子ども、家族、友人に対しても、ちがう接し方ができそうです。
今の自分を信じて、これまでの自分の積み重ねを生かして、変化に向き合いながら、ハッピーに生きる。

今朝、TwitterFacebookに書いた、今年の抱負。

・・・
今年は家族や身近な人との関わりをを大切にしながら、自分のやれる範囲で社会にアプローチしていきたいです。具体的には愛するはてな、とりわけはてなブログをたくさんの人に使ってもらえる取り組みがしたい。個人的にはギターと唄を頑張りたい!今年もよろしくお願いします。
・・・

これが、私が苦しみ抜いた結果、出した結論です。
なんともかんたんすぎるものですが、これだけのことが書けただけでも、気持ちがずいぶんと軽やかです。
小さな存在である自分が、2012年にできるだけのことをやって、少しでも何かの誰かの社会の家族の役に立てたら。それから、大好きな音楽でもっと自分を表現できるようになれたら、いいなあと思っています。そして何より、夫と子どもとしなもんをはじめとする身近な人と、幸せな関係を継続&再構築できたら、最高です。
今年は、そんな思いを、このはてなブログに綴りながら、はてなブログの良さを多くの人に伝える取り組みもがんばりたいです。
井戸を掘るようにもぐって考え、さらに自分の思いをふるいにかけた結果、たどりついた結果です。
今年もよろしくお願いします。

2011-12-24

ワッフルメーカーとカリカリ

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長い間、箱に入れて放置していたワッフルメーカーを取り出した。
前夜、強力粉がなくてホームベーカリーでパンが焼けないことに気付いた。朝食をどうしようかと悩んでいたら、ふと頭によぎったワッフルメーカーの存在。
ネットで取り寄せたのが一年ほど前のこと。3000円ぐらいだった。一度焼いたけれど、あまり必要性も美味しさも感じずにそのままバックヤードの片隅におさらばしてしまっていた。
卵を泡立て、溶かしバター、砂糖を加え、薄力粉を混ぜ込んで、ガスで熱したワッフルメーカーに流し込む。待つこと3分。経験が浅い割には、うまく焼けて、家中に甘い香りが漂った。
朝から子ども部屋でプラレールあそびに興じていた息子が「お腹すいたあ」とダイニングに駆け寄ってくる。
「この、”あなあな”があいたパンはなあに?」と不思議そうにワッフルをつつく。2階の書斎で仕事をしていた夫も降りて来た。自然と全員で食卓を囲んで朝食タイムが始まる。
たっぷりのバターとジャムをぬって、焼きたてのワッフルを頬張る。
続けてミルクティーをすすると、至福の気分になる。息子も夫も「カリカリが美味しい」と、ワッフルの隅っこの部分を喜んで食べている。

カリカリといえば、夫と自転車雑誌の仕事をしていたときのエピソードを思い出す。
広島へレース取材に行って、宿の近くでお好み焼き屋に入ったときの話。夫とはまだつきあい始めてばかりだった。
カウンター席に座ると、店のおばちゃんが大きな鉄板で私たちのオーダーしたお好み焼きを焼いてくれた。さすがお好み焼きの本場、広島。お腹がすいていたので二人で夢中で食べた。
お客は私たちだけだった。おばちゃんが調理をした鉄板の上には、少なからず焼け焦げた生地の残りや、焼きそばの端切れがカリカリになって残っていた。それらをおばちゃんが手際よくヘラでまとめ始めた。
そして、鉄板の隅にある穴から下に通じるゴミ箱に捨てようとしたところ、「あ、それ良かったら僕に食べさせてください」と、彼が言った。
「え?こんなん食べるのか?」とおばちゃんがけげんそうな表情で聞いたところ「僕、カリカリのところがすごく好きなんです」とはずかしげもなく答える夫。おばちゃんは、いやがるどころか嬉しそうにイソイソと夫の皿に「はいどうぞ」とカリカリをよそい、無事にカリカリはゴミ箱ではなく夫の胃袋におさまったのだった。
そばで見ていた私は、一瞬おどろいたものの、さわやかな空気が自分の中を駆け抜けるのを感じた。その後は、ニヤニヤしながら、彼がうれしそうにカリカリを食べるのを眺めていた。はてなを始める2年以上前の話である。

ワッフルのカリカリが、昔の思い出がよみがえらせた冬の朝。
息子のリクエストにより、明日もワッフルを焼く事になっている。ワッフルメーカー、手放さなくてよかった。

2011-12-20

ユリカモメ

川の上を飛ぶユリカモメの大群に出会った。
ものすごいスピードで北に飛来したかと思うと、一斉にきびすをかえして南へと向かう。
今度は高度を一気に上げて北東へ。そしてスピードを落とし、橋の下にわらわらと停まる。
いったい何をしていたのか。
何のために飛んだのか。集団で。一羽も外れることなく。

鳥になりたいと思ったことはない。
飛びたい、という気持ちを持ったこともない。
けれど、あのユリカモメになってみたい。
ただ一心不乱に北へ南へと群れの一員となって飛翔したい。
翼を懸命に上下させながら、ひたすらに大群の構成部員となって空を疾走したい。
心はなくとも。考えずとも。目的を知らずとも。
ただ厳寒の空を切って、時空を進みたい。
一羽のユリカモメになって。

2011-12-17

Looking up the sky

Looking up the sky.
Singing, walking in the dark night.
I felt emptiness in my heart, body and soul.
I was completely alone in this world.
I also have nothing to left in this world.
Something is breaking in myself.
Stars and moon are shining.
Walking is over.