毎日、身体がだるくて眠い。
暇さえあれば畳に転がって休息をとっている。
小3の子どもが帰宅したらそうはいかない。友だちを引き連れてきて、リビングを牛耳ってゲームざんまい。スナック菓子はケンカしないように小皿に分けて出してやり、頃合いを見計らって公園に行かせ、帰宅したら宿題、ご飯、風呂、就寝。すべて声がけをして寝かしつけた22時にはもうクタクタ。
育児がキツい。
小学校に入れてからのほうがキツくなった。夕方まで預けていた保育園のおかげでラクさせてもらっていたなあと思う。
たしかに乳幼児期に比べれば、言葉は通じるし、多少の留守番もさせられるのでラクになった部分もあるが、別の部分でコタエルことが増えた。
育児がキツいと感じる人は多いと思うが、どの部分にしんどさを感じるかは人それぞれのようだ。
私の場合、子どもとのやりとりで生じる精神的な疲れに弱い。
元来、ひとりで好きなことをしているのが一番好きなので、24時間一緒にいなければならない子どもの存在が負担だ。
つくづく思う。これは苦手を克服するための修行だなあ、と。
もちろん子どもは可愛い。かけがえのない存在だ。だけど、子どもを育てる行為で幸せを感じるかどうかは別だ。
人には向き不向きがあるのだ。 育児が苦手、あるいは嫌いな母親だって父親だっている。 一方で、働くよりも子どもといるほうが幸せな人もいる。人それぞれだ。
もしも頼る相手のいないワンオペ育児だったら恐怖だったろう。
幸い私の場合は近所に別れた夫が住んでいて、何かあればいつでも面倒を見てくれる。息子も喜んで父親のもとに通っている。
なので普段はワンオペだけど、いざとなったら休めるワンオペなので助かっている。
ところで、こんなに育児が辛いのに、なぜ子どもを産んだのか。
その理由はひとつ、授かったからだ。
子どもが自分のもとにやってきた以上、育てなければならない。それは、好き嫌いではなく当然やるべきミッションなのだ。
と、えらそうに書いたけど、私の場合はこんな風に腹をくくるまで相当時間がかかった。
しかし離婚という大きな出来事があり、そのことで子どもをどうするか、という大きな問いにぶつかった。
おかげで、私は子どもと生きていく、と腹をくくることができた。
父親にも子どもを手放してもらいたくなかったので(当然、向こうも子どものそばにいることを希望していたので)、互いに近くに住んで、子どもを共に育てようと同意して別れた。 結果的にそのことで救われている。
いまの恋人にも助けられている。
私がしんどいとき、進んで息子の遊び相手になってくれて、私をひとりにしてくれる。
つき合い始めた当初、遠慮していた私に対し、「子どもの存在は最も優先すべきものだから」と積極的に息子に関わってくれた。 おかげですっかり仲良し三人組だ。
また、子どもも連れて行ける地域の行事に参加したり、週末にも近所の子どもをうちに呼んだり、逆に近所の子どもの家に入れてもらったりと、なるたけ子どもも私もストレスがたまらないように「他人の存在」という助けを借りている。
育児の形は千差万別だけど、ひとつだけ確実に言えるのは、助けてくれる誰かの存在や仕組みがなければ育児は破綻するということだ。
毎日ヘトヘトだけど、これからも色んなものに助けられながら子どもを育てていく。 私のためにも。子どものためにも。
追記:こんなことを書いたら、子どもなんていらない、と思うカップルが出てくるかもしれませんが、子どもがいることで幸せを感じている人、育児が楽しい!という人も周囲にはたくさんいます。なので、人それぞれなのだと思います。だから一様に「育児ヤバい」と思わないでくださいね(苦笑)。