冬の空、夜の鳥

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上空を鼠色の雪雲が覆って、北山はすでに真っ白で、東山も徐々に白くなってきて、これ以上ないほど冬らしいムードの京都です。灯油を仕入れにクルマで出たけど、一軒家の底冷えがきついから家に戻りたくないわと思いながら丸太町通を走っています。

昨夜の河原町は、浮かれた人たちで賑わっていた。街全体がウキウキしてて、その波をかきわけて南へ進むのにひと苦労だった。でもそれが悪くなくて、けっこう良い気分だった。私自身の仕事はなかなか納まってないけれど、事をやり遂げた感は誰より感じている自信があった。この気持ちを人と分かち合いたくて街に出た。

ライフネット生命の出口さんは、人生で学べるのは旅からと読書からと人からの三つしかない、と言われていたけど、最近の私はもっぱら人から学んでいるみたい。人ってやっぱり面白い。当たり前のことだけど、コントロールできないのがいい。自分と同じ人など何処にもいない。会話だってピッタリ合うこともない。虚しさをおぼえたりわずかな手応えを得て喜んだりしながら、実地でいろんな考え方や生き方の事例を教えてもらっている。もちろん例えば夜の街での会話なんてほとんどは意味のない内容だ。でも他愛ない会話のなかに、ごくたまにキラッと光る石みたいな言葉をみつける。それをポケットに入れて持ち帰る。私だけの一夜の収穫。

「結婚にはあまり興味はないけど、ひとりの人とずっと一緒にいたらどうなるのかな、いてみたいな、とは思う」。隣の彼のつぶやきが清らかで切なくなった。誰かの清らかさにふれて切なくなった感覚、これまでにも二度ほどある。詳しくは書かない。ブログは本当に書きたいことは書けないものだ。

深泥池から自転車で呑みに出るのが常といっていたおじさんは、ぶじに帰宅できたかな。この頃、夜の街ぜんたいが自分のうちみたいな人がいることが分かってきた。住処を定めない鳥たちが、止まり木から止まり木へと飛び移りながら暮らすように、カウンターからカウンターへと落ち着く場所をかえる生き物たちが街に生息している。いろんなところで眠って起きて移動して仕事して呑んで、擬似家族みたいな知り合いたちといろんな場所で交わっては離れて同じ時間をこの街で過ごす。家など限りなく簡素でいい。寂しくない。

それにしても鳥は何処でどんな風に死ぬのだろう。森のかたすみの暗い茂みに静かに身をうずめて生涯を終えるのだろうか。彼は、ちゃんと起きて家の布団で眠っただろうか。寝ぼけてカウンターでおでこをぶつけていたけれど、たんこぶにならなかったかな。