胡桃の木の根元に植えたサフラン。毎年、10月の終わりから11月のはじめにかけて花を咲かせる。秋が深まる今の季節は私にとって最も苦手なとき。自然が彩度を落とし始めるこの時季、鮮やかなサフランの花が元気付けてくれる。黄色いめしべは昔から香辛料や香料として珍重されてきたそうだ。Wikipediaによれば、明治時代に添田辰五郎という人が病気の母のために球根を輸入したのが始まりとのこと。古くから人を救ってきた花。私もサフランに癒されている。
木曜日は、はてなに2回行った。1度目は夫に用事で。2度目はハロウィンのパーティで。1度目の用事を済ませたあと、いったん家に戻ろうと碁盤の目を歩いて御幸町夷川あたりまで来たとき、クルマだったことに気付き愕然とする。パーティではお酒をのみたかったので、会社のそばにクルマを置いておくわけにはいかない。日没がせまるなか再びはてなに向かう。情けない、情けないと呟きながら夷川を西に歩いていたら、夕暮れの空と商店や家の灯りがつくり出す幻想的な風景が眼前にあらわれ、立ち尽くした。これに出逢えたお陰で自分の鈍臭さを許すことができた。
はてなのハロウィンパーティに着て行ったきもの。いちおう帯がハロウィンカラーだったのだけど、周りの人にアピールしても「気付きませんでした」と言われて悔しかった。初めて色付きの半襟にしたら遊び着らしい雰囲気になった。茶室に色付きは御法度なので今まで敬遠していたけれど、これから稽古以外では愉しみたい。昔の女性も半襟の色や帯の柄などの組み合わせでお洒落心を満たしたのだろう。そういえば、ここにきて着付けにかかる時間が飛躍的に短くなった。着ているときの気負いが減って、どんどんきものと自分との距離が縮まってきた。日本人になりきれないなと長く思ってきたけれど、こうして形式からの接近を試みることで、多少なりとも日本人らしさみたいなものを分かっていきたい、と考えている。
何時の間にか豆をひいてドリップするのが億劫になり、粉を買い始めたのが1年ほど前のこと。カフェで修行するほど珈琲好きだったのにと、自分を責めつつも全く余裕がなかった。それが最近は再び豆で買うようになった。大学で親しくなった珈琲好きからプレゼントされたコラソンというショップの豆がとても美味しかったことがきっかけだ。冷える朝、カーディガンを羽織ってコンロでお湯をわかす間に小型のグラインダーで豆をひき、丁寧にドリップする。テーブルでひとり静かに味わうとき、失った時間を取り戻したようで小さな幸せを感じる。
連休後半は堺の実家へ。ベランダからの景色がどんどん秋らしくなっている。自然の色というのは何故もこんなに深く多彩で美しいのだろう。一日として同じ景色がないように、日々の暮らしも人の心も何もかもどんどん色を変えていく。変るから切ない。変るから美しい。私も私以外の人も自然の一部だと思えば、どんな変化も違いも受容できるし、受容すべきだと思う。
父のサイドボードのパイプコレクション。なんとなく写真に収めたくて撮影した。貰っても仕方がないけど、いつか自分の手元にやってくるような気がしている。