川 旧立誠小学校 三つ目の誕生日

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 高瀬川ぞいに旧立誠小学校というのがあってね、川に架かった小さなコンクリの橋を渡るといきなり正面玄関なんだけど、その橋と川と校舎の壁が組合わさった風景が異常に好きで、用事で三条〜四条辺りに来ると引き寄せられるように辿り着いてしまうんよ。旧明倫小学校みたいなエレガンスもないし手入れも行き届いてなくて、廊下はホコリだらけだし、立ち入り禁止の場所にはダサい工事現場のコーンが置かれているし、昔の勉強机と今のパイプ椅子なんかがごっちゃに放置されているしで空間センスは全然なんだけど、やっぱり古い京都の小学校らしい凝った意匠がちょこちょこ残っていてね、つい土曜日も入り込んでしまったわけなの。

 その日は清課堂の工房見学に空きがあるとみっちゃんから誘われて、源兵衛さんのオフィシャルなトークを聞かせてもらって、地下の工房で錫を削る実演や若き職人の作業風景を拝見し、ええもん見させてもらったわあーと、店をあとにした。こぼれ話なんだけど、神社のお神酒を入れる器は多くが錫で出来ていて、製造できる店がもう日本に二軒しかないとか。で、他所の一軒は跡継ぎがいなくてゆくゆくは清課堂だけになるらしい。思わず「独占企業じゃないですか!」と突っ込んだら「そうですね」と柔らかく返した源兵衛さんの眼の奥がキラリと光った(ように見えた)のが良かったわ。

 そのあと、マロニエビルで源兵衛さんのお母さんが銅線を素材にした作品展をしているというからそちらもひやかして、六曜社でドーナッツとコーヒーをいただきながら几帳面な店主のマイクロマネジメントぶり(次にすべき作業の多くをウエイトレスに前もって二言で指示する。例えば"二番さげる"、”お会計先に”、”コーヒー三番”など)をウォッチして、服屋で秋物コートを物色して、気付いたら工事しているBALのあたりで河原町を東に折れてやっぱり高瀬川へと進んでた。

 ぶらぶら、ほんとにぶらぶらと川沿いを歩きながら、最近の自分について考えてた。

 たいした仕事もしておらず、きものやお茶やお能や文楽や工芸や洋館なんかにいれこんで現を抜かして、いまだにモラトリアムで、他人の言動に一喜一憂して、承認欲求を満たすために一生懸命ウェブで自己表現して、根無し草で、ああなんてだめ人間なのかしらん、ほらまた反省モード。しかもそれほど行動があらたまっていないあたり、本気で反省していない!ゆゆしき事態だわ!などと彼此考えていたら、やっぱり小学校の前の橋に行き着いた。

 そこで今度は川について考えた。

 鴨川、高瀬川、その前は目黒川に多摩川、さらに遡って大阪時代は淀川、おばあちゃんちの脇を流れる名も無き川、従姉の家の近所の加古川。昔から川が好きだった。水の流れや岩の配置や周囲の植物や飛び交う虫なんかを眺めていたら、なんぼでも一日でも過ごせた。そうか、やっぱり根無し草だから川が好きなんだ。いや、川を眺めすぎたから根無し草になったのか。どっちでもいいけど、とにかく昔から川が好きだった。

 幼少期から川に親しみすぎた事実は、自分の放蕩と運命主義を決定づけてしまったのではなかろうか。流されるまま流れるままに、求められるまま求めるままにここまでやってきた。せせらぎに遊ぶ日々は愉しかったけど激流のときはそれなりに苦しかった。干上がって流れないときは辛かったけど、風景や水の温度が常に変化することのほうが私にとっては大事だったし、それが大きな幸せポイントだった。

 でもね、そろそろ流されるまま流れるままの人生にケリをつけたいなと思っているんです。

 敬愛する亀井勝一郎翁曰く、兼好法師は徒然草の中で人間は四十歳ぐらいで死ぬのがよいと言っているらしい。その理由というのが「厭世感とか無常感といったものではなく、兼好は案外精神年齢の充実した年をみはからっていたのかもしれません」ということだ。困ります。精神年齢の充実した年になるべきどころか、おろおろと人生の踊り場で右往左往して、そのくせふわふわと市中を彷徨っている女なのですから。つい先日まで死にたいと思ったこともあったけど、今はまだ死ねない、死にたくないの兼好さん、などと思い始めている強欲さが恐ろしい。

 でも亀井翁は、こんなことも書いている。

 人間には四つ誕生日があって、ひとつは母の胎内から出てきたとき。もうひとつは二十歳頃の自発的にものを考え始めるとき、そして三つ目は三十代から五十代ぐらいで人生に疲れたときに「もう一度生き直そう」と決意する「一種の宗教的誕生日」を迎えるとき。それでもって四つ目は、想像たやすく死ぬとき。これも良い事が書かれていて、「人は死ぬことによって、生き残った人々の心のなかに、もう一度生まれ変ることができる。歴史とはそういうものです。有名とか無名とかいうこととは関係ありません」とある。素晴らしい。

 この三つ目の誕生日は、誰もが迎えるものではないのではないかしらん。おそらくスルーして四つ目を迎えて人生おしまい、の人も多いと思う。また、本気で三つ目の誕生日を迎えられる人もいれば、必死でリセットして生まれ変わったつもりがたいして変らない、という人も多いのではないだろうか。私などはその部類だと思うけれど、それでも三つ目の誕生日の存在を知ってしまったので、人生の巻き返しというか生き直しを図るのも一興だわね、と思い始めている。

 生き直し、リセットなんていうと、これまでの俗人性に別れを告げて修道女になるとか、酒・煙草・男をやめてカタギになる(例です、例)とか、新たにすごい努力で何かを始めたりとか、そういう「不真面目→真面目」というパターンのリセットを想像しがちだけど、なんとなくそうじゃない方向でも良いんじゃないかしら。少なくとも私に関しては、外的側面というよりは、精神的な部分での「不自由→自由」という変化が、三つ目の誕生日にふさわしい様相のようだ(と勝手に思っている。よく勝手に思う)。

 埃っぽい小学校をぶらぶらして、ふたたび橋を渡って高瀬川ぞいを北上して帰路につく。きものを着ているとおのずと徒歩になるから、歩きながら色んなことを考える。そういや川をくだるのは好きだけど、さかのぼるのは御免だわ。鮭のような女にはなれない。