水槽、スティーブン・キング、吉田山【日常】

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 夜中の2時に目が覚めた。昨夜は息子と共に21時半に就寝したので、起きてもおかしくない時間だ。カーテン越しに向かいのワンルームマンションの廊下の光が差し込んできて、壁や天井で揺れている。水槽の中みたいだ。ゆらめく光の波を眺めながら朦朧としていたら、息子と夫が同時に目を覚まして「水がほしい」「僕も」と言った。1Fまでおりていき、ボトルの水を運ぶ。無言で二人が水を呑み、そして同時に眠りについた。水槽のことを考えていたら水を求められたのが可笑しかった。
 そのまま眠れずに、これからどうしようかと思いあぐねる。起きていつものように歩きに行くのには早すぎる。階下で活動する気にもなれない。そんなときはと、枕元に置いていたスティーブン・キングの『小説作法(On Writing)』の続きを読むことにした。前半は自伝的回想録で、いよいよ『キャリー』が世に出て彼と家族の生活が軌道にのり始めるところから続きが始まった。気に入らなくてゴミ箱に捨てた原稿を奥さんが拾い上げて「書き上げるべきだ」と説得したくだりに、やはり物書きには自分の作品を後押しする誰かの存在が必要なのだと感じた。前半の終わりは、作家としての成功後、アルコール中毒に蝕まれるも周囲の人の支えで這い上がったエピソードで締めくくられていた。この回想の部分はきっとキング自身もおおいなる感慨をもって執筆したに違いない。皮肉やジョークがちりばめられた文章の向こうに色々な感情と感傷がのぞいている。後半の文章論に入ったところで、眠くなってきた。本を閉じて、眼も閉じた。それが何時だったかは分からない。
 次に起きたのは、いつもと同じ5時15分だった。Tシャツとタイツとショートパンツに着替えて吉田山に向かう。なんとなく足取りが重い。そんなときは無理せずにゆっくりと歩くだけ。吉田神社について手口を浄め、今宮社、石段をのぼって本宮、神楽岡社、若宮社、さらに長い石段を経て神龍社に至る。やっぱりだるいので、神龍社の傍らの石段に腰をおろして休憩した。
 木々のそよぎや眼下に小さく見える池の水面を眺めながら、考えるともなく考え事をする。10分ほど、今、自分の中でつかえていることを心から取り出してみる。イメージとしては、小さい泉に手を入れて、そっとすくいあげてしばらく手の平で眺めるような感じだ。静かに、じっと眺め続けていると、ふとどこかから「こうだよ」という言葉がおりてくる。そして、「ああそうだよね」と納得する。その後、手の平の何かを泉に戻す。心のつかえは消えている。毎回そう上手くはいかないけれど、こういう感覚が得られる時間がある。
 歩き始めてから、この朝の時間が私にとっていかに必要だったかを思い知った。得られるものは、悟りにはほど遠く、ものの本に書くような高尚なものでもなく、普通の良識的な人間ならば自然と携えているであろう道理程度なのかもしれないが、今までの私には足りなさすぎたものたちである。今それを森で収穫している。
 神龍社をあとにして菓祖神社と山蔭神社を通り過ぎ、大元宮までの坂道をのぼる。足取りは少しだけ軽くなってきた。大元宮を参った後は、吉田山を東南の裾から分け入って山頂を経て北の今出川通へと下る。数日前まで聞こえていたセミの鳴き声は聞こえなくなった。山頂にはめずらしく人がいた。ラジオ体操をするおじさんとベンチにたたずむおばさん。山で初めて人が映り込んだ写真を撮った。
 家に戻って、普段と同じ朝を過ごし、家族を送り出してから、仕事に出るまでに1時間ほどソファで深く眠った。大学の机でPCに向かっていても、やはりだるさは抜けない。微熱があるみたいだ。夏と秋のあいだで風邪をひいたかな。

小説作法

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