アイデンティティは死ぬまで変化する。河合隼雄『こころの最終講義』より

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 心理学者で京大名誉教授の故河合隼雄さんの講演録『こころの最終講義』を読みました。本のなかのひとつの章「アイデンティティの深化」に色々と考えさせられました。

 しばしば「自分ってなんだろう」という悩みを友人や後輩たちから聞かされます。もちろん私だって分かりません。常に自分探しをしているような日々。周囲を見回すと、そんな人は案外多い。テレビや雑誌には、「これが私の生きる道」などと確固たる自信を持って活躍する人がたくさん登場するけれど、そんな人のほうがおそらく少ないでしょう。

選ぶことは捨てること

 河合隼雄さんは、エリクソンのエゴ・アイデンティティの考え方にふれながら、こんなことを話しています。

断念する力が要るということが非常に大事なんです。何かの道を選ぶというと、みんな非常にいいことばかり考えるのですが、何かを選ぶというなかには、その代わりこれはやめることになるんだという、あきらめというものがある。あきらめる力をもっていない人はエゴ・アイデンティティというものは確立しない。さきほどいったような、あれもいい、これもいい、あれもできるかもわからん、これもできるかもわからんといっている人は、なかなかアイデンティティは確立しないわけです。

 選び取ることは捨てること。あれもこれもほしがるなよ、と書いたのは相田みつをでしたよね。溜め込む事、取り込む事、手に入れる事、増やす事のほうに力を注ぐのが人間のサガだけど、そこに落とし穴があるのかもしれません。選択だ、断捨離だ。

人生を重ねた先にゆきつくもの

 河合さんは、日本人の「自分」が、西洋のエゴ・アイデンティティとは異なる点についても、芸術家の言葉を引用して伝えています。 

棟方志功(むなかたしこう)というすばらしい版画の名人がおられましたが、棟方志功が晩年になってこういうことをいわれたんですね、「おれもとうとう自分の作品に責任をもたなくてもよいようになってきた」と。

これは非常にすごいことでして、だれでもぼくの作品だからぼくが責任をもつというのがあたりまえなんですね。それを棟方志功が、もうとうとう自分の作品に責任をもたないようになってきたといったのは、もう自分がやっているのではない、棟方志功がつくった版画でないものをとうとうつくるところまできたという、すごい言い方だと思うんです。こういうアイデンティティは決して西洋人的なエゴ・アイデンティティではないですね。 

 決して西洋文化的な「個人」に切り分けられない日本人。ご先祖様、家族、コミュニティ内の人、自然、深層心理でつながっている何者か...etc. 「色んなものに生かされている」、ということをもっと分かっていれば、日本人としてラクに生きられるのではないか。そのことを受容できたとき、日本人としてのアイデンティティを得るのかもしれません。

アイデンティティは死ぬまで変化する

 「これが私の生きる道」と決まったときが、アイデンティティの確立したとき、というわけではない。アイデンティティは全生涯を覆って流れる問題、ということも語られています。

そんなふうに考えていきますと、アイデンティティというものは、どこで確立したか。二十五歳でとか、二十八歳で確立する、したというようなものではなくて、ずっとつづくもの、ある程度できたなと思うと、また次のものがやってくるというふうに、実は死ぬまで、あるいは死んでからも続くほどの一つのプロセス、過程なんであって、ある点で確立するというものではないのではないかといういうふうに思います。

結論的にいうと、アイデンティティはいつできるというものではない、全生涯を覆って流れている問題ではないか。さっきの小学二年の子が自分はいずれ死んでもおばあちゃんといっしょに月の世界に住むんだといっているときは、そのことが、そのときのその子のアイデンティティを支えるファンタジーになっていますけれども、そのファンタジーはその子が中学生になればそんなに力をもたないかもしれない。そうすると何か新しいファンタジーがやっぱりできるのではないか。

だからわれわれは生涯の中で、その生涯にふさわしい自分のファンタジーというものをみつける必要がある。そしてそういう難しいことを辟易せずにやりぬくということが、非常に深い意味における宗教性というものにつながるのではないかというふうに私は考えます。

 生きることは、私とは何かを考え続けること。そのなかで「個人」としてのアイデンティティを追求すると日本人として無理が生じる。いつか確実な答えを得ようと思っても無理がある。結局は、その日その日を真摯に生き、ときに孤独に考え、ときに周囲に助けられながら、最良の生き方を模索し続けるしかないのかな、と思いました。

 

こころの最終講義 (新潮文庫)

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