カランコロン

 

 素足に白木の下駄で歩く心地よさよ。

自分の生身が自然とダイレクトに繋がっている実感。

ただの印象でも、たとえでもない、木の地肌が足の裏と密着し、地面を一歩ずつ進むたびに大地の感触が柔らかな木目を通して伝わってくる。

そんな下駄の快適さを味わいたかったら、寺町二条にある古い履物屋、やまなかに行けばよい。

好きな木の台と鼻緒を選ぶと、店のおばあちゃんが目の前で鼻緒をすげてくれる。

四千円も出せば、昔ながらの下駄を手にいれられる。

最近は、下駄の歯の地面と当たる部分に滑り止めのゴムを付ける下駄屋が多い。

やまなかの下駄の台は昔と同じく木だけでできている。それがよい。地べたと私が接する度にカランコロンと音が鳴る。

彼の時代の恋人たちを想像する。

夜の逢瀬でひとときを過ごした男性も、やはり四角い下駄を履いていただろう。

名残を惜しんで分かれた後に、背を向け歩き出す彼の姿と共に、カランコロンの音が鳴り響く。

見送る彼女は、いつしか小さくなった下駄の音に、愛しさと寂しさとロマンチックを感じたのかもしれない。

カランコロン…。そんな殿方であったなら、大股で早足に立ち去ってほしい。

カランコロン。