かねてから行きたいと思っていた能を観に京都観世会館へ出向いてきました。家から自転車で行けるところに能楽堂があったのに、今までとんと関心がなくもったいないことをしていました。
まず中に入り、屋内にしつらえられた能舞台の美しさに息をのみました。また、変なところに目が行ったのですが、会場にやってきた主に年配の女性たちの身なりがとてもきちんとしていて、気持がよかったです。意外と着物姿の人はいませんでした。
初めての能は「楊貴妃」。唐の皇帝の命で、死んだ楊貴妃の様子をうかがいに常世の国(黄泉)に出向いた方士が楊貴妃と出会いやりとりをするお話です。
帝の寵愛を受けつつも本当は天上界の仙女であり結ばれる運命ではなかったと涙する楊貴妃の哀しみと美しさを描いた作品。端正な能面をかぶったシテの楊貴妃が、帝と交わした愛の言葉を再現して舞ったあと、すべてが終わり演者らが去ったあとの余韻が強烈でした。
まさにあちらの世界から引き戻されるもまだふわふわと地に足がつかない心地で、これはすごい世界を知ってしまった、と呆然としました。
現実世界で近視眼的にものを見て生きている日々。なのにここでいきなり「あちらの世界」に引き込まれて、どうしようかと戸惑うと共に、なんと美しく心地よい世界なのだろうと酔いしれました。
そして、常世の国でひとり帝を思い涙と共に舞う楊貴妃の姿をながめながら、実は私もこの世にいながら本当は幽霊だったりするとどうだろう、この世で出会った男性たちとの関係は、全て儚くもろい刹那の出来事なのだとしたら....。そうであれば哀しくも美しく、切なくも愉快であるなあ、などとわけのわからない妄想にまた酔いしれるのでした。
楊貴妃が終わった後に演じられた「仕舞」は、これまた「動」の美しさと力強さに圧倒されて、一気に覚醒しました。そして「動く落語」のような狂言に笑わされて、なんとも面白おかしい半日を過ごしたのでした。