3才半のひとり息子と暮らしています。育児中の親なら誰でも「子供が言うことを聞かない、こちらの思う通りに行動しない」と感じているはずです。我が家もまったく同じです。
これから書く「靴の履き脱ぎ」に関する今日の出来事は、客観的にみれば本当にたいしたことのない話なのですが、当事者にとっては、そう言ってられない切実な内容なのです。同じような思いをされているお父さんお母さんもいれば、うまくやっておられる人もいると思います。
今朝、保育園に出かけるとき、いっこうに自分で靴を履かない息子。待てどくらせど、靴の前であれやこれやと他のことに気持ちをとられて靴に手をかけようとしない。それを眺めて待ちながら、どんどんイライラが自分の中で増殖していき、果ては怒りがこみあげ、なんともいえない気分の悪さを感じました。
それでもその時は、子供に「怒りをぶつけずに済んだ」のですが、どうしてもその後、自転車にのって登園する間、子供と話す気持ちになれませんでした。子供にもそれが伝わっていたようで、非常に悪い雰囲気で登園しました。
それに加えて、保育園の中に入るときに、今度は靴をまったく脱ごうとせず、玄関でひたすらモタモタ...。おそらく靴を脱いで中に入ったら母親が荷物を置いてすぐに保育園から出ていってしまう、別れるのがいやだ、という思いがあったのでしょう。しかしこちらとしては、「靴をぬぐぐらい、どうしてすぐにできないのだろう」と、再び心に暗雲がたちこめて...。
しかしその気持ちを言葉に表現する気になれず、思わず子供を置いて「先にいってるよ」とスタスタと部屋に入ってしまいました。母親に置き去りにされ、泣いて追いかけてくる子供。心を開けず、態度を硬化させる私。タイミングよく、優しい男の先生が息子をひきとってくれて、園を出ることができました。
その後は、どうも気持ちの悪い後味が残り、今に至っています。
息子の靴の履き脱ぎをめぐって感じた自分の気持ちや、とった態度について後から考えてみました。
結局、私は「その場で、注意したいことについて、明快に注意する」ということができていなかったんですね。
育児における私の悪いくせは、怒りをためこんで自分のなかで自家中毒を起こしてしまうことのようです。靴をはくのが遅いと自分が感じたなら、その場で「保育園に遅れるから早くはいて!」とすぐに言えば良かったし、ぬぐのが遅いと思ったときも同様でした。
しかしその場では「子供がちゃんと自分でやりきるのを待ったほうがいいんじゃないか」「自分の”遅いなあ”と感じる気持ちは自分の短気によるものではないか」とあれこれ考えてしまい、自己セーブを働かせ、その果てにストレスをためてしまい、結果的に場をこじらせてしまっているのだと思います。
最後まで忍耐できて、ゆっくりと行動する子供が全ての行為を完了するまで心穏やかに見守れて、うまくいけば良いですが、そうではないのですから、なんとかしなくてはなりません。
ここまで書いて導きだした自分なりの結論は、
- 小さなストレスが、やがて大きなストレスとなって自分を蝕む
- ためこみすぎたストレスは、その後の自分の態度を酷くする
- いったん自分の精神状態が悪化すると回復しづらい
- (短期的ではあるけど)子供との関係が悪化して修復が難しくなる
- そうならないために、気持ちを早めに外に出す
- 外に出すときはカラッと、後腐れのない形で
...というものでした。
このエントリーは、今朝の私のもやもやをなんとか解消するために、書いたものです。文章化すると、気持ちがスッキリしますし、いつか振り返って反省することもできますし。情けないエントリーだなあと我ながら思うのですが、15年後ぐらいに息子が読んでくれたら、少しは「お母さんも悩んでたんだな」と思ってくれるかな。
もっともっと、二度揚げの唐揚げのように、カラッと気持ちのよい態度で子供と接したいものです。精進します。