物乞い

自動車をおりて歩道に出たら、目の前に物乞いが座っていた。
物乞いは明らかにそれとわかるボロ布を身にまとい、膝の前に空き缶を置いて静かにたたずんでいた。
目が合ったように思ったけれど、どちらかというと私が物乞いを凝視したから彼も見つめ返したという雰囲気だった。
物乞いの瞳は奇妙に奥深いように感じられた。人の分け入らない森の湖のような落ち着きがあった。
物乞いと書いたけれど、何も欲していそうにない表情だった。空き缶は、仕方なく置かれた便宜的な道具のようだった。物乞いを物乞いらしく見せるための象徴としてしつらえられた表札のようだった。
なぜかどうしても物乞いにお金を与えたくなって、財布から1ドルコインを2枚とりだした。空き缶に入れればよいものを、のばされた手のひらにしずしずと差し出した。物乞いは黙ってそれを受けとった。礼の言葉も会釈もなく、ただ少しだけ瞳の奥が鈍く光ったように見えた。私が勝手にそう感じただけかもしれない。
物乞いから離れ、歩道を進んでショッピングモールに向かった。歩く間も、彼の瞳が脳裏をちらついていた。
物乞いの人生を考えてみた。
なにかのはずみに転落したのかもしれない。哲学的なことばかりを考えていたらこうなったのかもしれない。捨てられたのかもしれない。逆に捨てたのかもしれない。あるいは何かを拾ったせいでこうなったのかもしれない。
どんなに考えたところで答えは出ないのは当然だが、どうしても物乞いについて考えずにはおれない自分がいた。
少なくとも彼のありようは、私のそれよりも潔い。心のなかで私が私にささやいた。
私は物乞いになれるだろうか。
空き缶を置いて、道ゆく者を静かに眺める一日を送れるだろうか。
人が差し出すコインを、天空から落ちる雨粒のように自然に受けとれるだろうか。
今の自分には無理だ。
また、一方でこんなことも考えた。私は物乞いより立派だろうか。
少なくとも財布には彼の空き缶に入っている額より多くのお金が入っている。
自動車に乗って、ショッピングモールで買い物もできる。
家がある。家族がいる。
それが何だというのだろう。
私の差し出す2ドルには、どれだけの価値があるのだろうか。
この頃の私のありようを思った。
歩くスピードがはやくなり、自然と駆け足になった。
ショッピングモールに着いたけれど、物乞いの瞳が脳裏から離れなかった。
用事をすませて駐車場に戻ったら、物乞いはいなくなっていた。
そこに持ち主を失った空き缶だけが、残されていた。
中をのぞくと1ドルコインがふたつ入っていた。