春暮

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昨日の夕景はことのほか美しかった。18時前、大学の正面玄関を出た瞬間に目に入ってきた空に釘付けになった。iPhoneに収めるまで十秒もかからなかった。

長らく会っていないカズさんという知人がFacebookで、

「私もこの飛行機雲見ました。」

とコメントした。ああ、同じ時間、同じ街で生きている人がいるんだと当たり前のことを想い、胸が熱くなった。

夜、いづみちゃんが、

「今日の夕焼けは、ひときわ染みたね。」

と書いてきた。

昨日は、彼女が毎日通った愛着のある場所を立ち去る日だった。写真をアップした数分後、荷物を積み込んで去って行く彼女のクルマの後ろ姿を見送ったのだった。言葉をかけられなかったけれど、良い風景を見られたなと思った。

恥ずかしさを感じながらも、

「春からは別の場所で夕陽を見るけど、ひとつの空でつながっていようね。」

という返事を書いた。素直な気持ちだった。

時間という縦軸も、場所という横軸も、人の心や魂という見えないものも、すべては途切れることなくつながっている。

人生には数々の節目がある。自分のさからえない部分で迎える節目もあれば、みずから決断して区切りをつける局面もある。

けれども、突然に白が黒になるわけではない。場所を変えても、状況を変えても、肩書きを変えても、決してすべてが一気に切り替わるものではない。何かしら、色々なものをひきずって次のフェーズへ移っていくものだ。

物であったり、想いであったり、関係であったり。それらは少なからず持ち越していくものであり、徐々に状態を変えていくものなのだ。

気付けばダウンジャケットが分厚く感じて汗をかくように、気付けば桜がほころんで景色が違っているように、自分も自然も少しずつ移り変わっていく。そして、前のフェーズと後のフェーズは、つながっている。いつまでも。

断ち切ろうと思っても、断ち切れないもの、ある。

でもそれが自然なのだ。いつか時が変化をもたらしてくれるまで、その時をなんとなく認識できるまで、私はその断ち切れないものを心の片隅にとどめながら、今を生きていく。

新しい景色を探しながら、作りながら。