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お正月日記

http://instagram.com/p/iqJN4gSqYi/
吉田神社のだるまみくじ。大きなだるまの中にコロコロと入っていて可愛らしかったので、引いてみた。おみくじを引いたのは、生涯で二度目。結果は末吉でした。なんとなく自分の現状にフィットしてるようで妙に納得。

願望 : 時期を待つこと。
待ち人 : 来たらず。
失物 : 出ず。
縁談 : 時間をかけるように。
売買 : 損もあり。
其の他 : 口はわざわいのもと。

とても教訓的だ。簡単にはいかぬが、心がけ次第でそこそこ幸せになれるぞという感じ。でもそれぐらいが良い。謙虚さを忘れずコツコツと。


http://instagram.com/p/iwniZ-Sqfa/

3日、ゆきちゃん宅に招かれて新年会へ。お土産の日本酒とバゲットを買いに河原町に出たらそれはそれは凄い人出。そうか、街のお正月ってこういうものだったんだ。四条から寺町を北に折れて人ごみに身を預けて歩いていると、幸田文の『流れる』という小説のタイトルが頭をよぎった。流れる、という言葉っていい。『流される』だとよくない。流れるという言葉、主体的ではあるけど、それだけでもない。運命に身を任せつつみずから人生を生きている感じ。自覚的だ。寺町をぬけて御池に出たところにあるコーヒーショップで休憩をした。満席でカウンターにも人が並んでいるのに、店員はたったひとりでオーダーをさばいていた。洗い場には汚れたコーヒーカップやグラスが山積みになっていた。店員の女の子は不機嫌そうだった。お正月にふさわしくない無愛想だった。そりゃそうだ。こんな多忙なのにたったひとりで働かされるなんて理不尽きわまりない。でも誰も彼女に声をかけなかった。手伝う人もいなかった(当たり前だけど)。都会のお正月だなあ、と思いながら窓越しの京都市役所を眺めて紅茶を飲んだ。誰もいない京都市役所は、冬の夕暮れに凛とした佇まいを見せていた。ネオバロック様式をとりいれたという古い建物と前の広場を眺めていると、ヨーロッパに旅をしているような気分になる。だから市役所前を通ると嬉しくなる。ゆきちゃんの家では、真っ白のスープが美味しい博多風の鶏鍋や、一ヶ月かけて仕込んだという金沢名物のかぶら寿司など、リノさんが腕によりをかけて作った料理を堪能した。目の前には着物を着たフランス人男性と日本人女性の上品なカップルがいた。隣には、リノさんと25年来の仲だという男性がいた。私の知らない人生を生きてきた人たちが、時にフランス語をまじえながら会話するのを聞くのは、不思議な愉しさがあった。ゆきちゃんは、着物姿で甲斐甲斐しく私たちのお世話をしてくれた。コーヒーショップの女性とは真反対のおもてなしだった。


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4日、堺に帰省。昼に中学時代の同級生の家を訪問。私から年末にコンタクトを取って13年ぶりの再会が実った。昨年、20代の頃に自転車関係の仕事でお世話になった人が亡くなった。ここ数年、闘病していたことを知らず、見舞いにも葬儀にも行けなかった。ネットの情報から訃報を知ったとき、呆然となった。年末に東京出張したとき、ご家族に連絡を取り四ツ谷の家に焼香にお邪魔した。仏壇には懐かしい顔が笑っていた。自分の不義理が悔しくて、でもなんとか年内にお別れできたことでホッとして、複雑な思いに満たされて帰路についた。夕暮れの新宿の空が美しかった。だから親しかった人、お世話になった人には生きているうちに再会しておこうと心に決めた。同級生夫婦は大歓迎してくれた。歳月をとびこえて中学時代の話題で盛り上がった。来年もここで集まり、少しずつ人を増やしていこう、と約束をした。フェイスブックやブログに写真をアップして、人を募ろう、と計画を立てた。時間ぐすりというけれど、時を経たからこそ分かり合える、ゆるし合える関係がある。同じ時代、同じ時間を過ごした者どうしが何年ものブランクを超えたとき、新しい関係が生まれる。そんなのって素敵だ。いつかまた出逢いたい人がいる。今はまだ笑って逢えなくても、今日、同級生の笑顔に救われたように、いつか微笑みあって再会を悦びたい。

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