罪をしたためる

http://instagram.com/p/fcmnmOyqdL/

 過去の自分の罪や、若かりし頃の自分を恥じて、それを償うために文章を書く。そんな人が少なからずいるのではないだろうか。私のブログも、日常の思いや出来事を綴る以外に、そうした目的を果たす為に存在する。以前、「もうブログに反省文的なことは書かなくて良いのでは」と進言されたことがあった。その人の言わんとすることは理解できるけれど、どうしても、今なお引きずっている過去の己に対する罪の意識(といっても法に反するようなことをしたのではない)が、私を内省させ、自身の愚かだった部分、浅はかだった部分、人でなしだった部分にあえて光をあてた文章を書かせてしまう。

 週末は灰谷健次郎さんの『わたしの出会った子どもたち (角川文庫)』を読んで過ごした。書名だけ見るとほのぼのとしたエッセイのような印象を受けるが全く違う。彼の「罪深かった前半生の自分」を赤裸々なまでに、残酷なまでに振り返った自叙伝的エッセイだ。長年の教師生活でふれあった子どもたちをはじめ、沖縄放浪時に出会った人々の優しさと生きる強さに触れ、いかに救済されていったかが綴られている。その過程における自身の内面を詳細に綴った文章からは、過去の罪をずっしりと背負った彼の苦悩の深さが見てとれる。文章を書きながら、己を傷つけて血を流している。それによって償おうとしている。読んでいて辛かったが、作者の心情があまりによく分かり、読みながら何度も泣いた。

 ぼくが、さまざまな底辺の人たちに出会い、その優しさに支えられてきたのに、その意味が理解できなかったことの罪を、いくらかでも明らかにしたいと思うからだ。
 苦しい生活の中から自己を見つめ、自己を掘り下げるエネルギーを持たずに、苦しい生活から逃れる方向にそのエネルギーを使った人間の無残さについて語らなくてはならないと思うからだ。

 わが反省は悔恨の反省であった。ぼくにたった一つ勇気のようなものがあったとすれば、それはわが痛みをさらけ出し、自己をみつめる目を持ったということであろうか。
『兎の眼』や『太陽の子』が幾百万の人たちに読み継がれているという事実は、一個人の栄誉とかなにやらの問題ではなく、そこに悩める人たちが集い合い一筋の光芒を求めて、絶望から希望へ向けて生きようとしている何よりの証ではないだろうか。
 この記録は、ぼくが子どもを生かしたという記録ではない。子どもによってぼくが生かせられたという記録である。

 作者は、17年間教師生活をするが、兄の自死などに逢い教えることをやめて沖縄やアジアを放浪した。大戦での悲惨な経験を生身で受けながらも明るく生きる沖縄の人々。彼らの優しさに触れたことで、彼は人間が人間として生きる意味を知り、救済されていく。そしてベストセラーとなった『太陽の子』を書き上げた。本書内でも、太陽の子の一文をみずから紹介している。

 人間の優しさというのは何だろうと考えることによって、ぼくは蘇生したのかも知れない。
 沖縄を考えるとき、いつも子どもがあった。子どもを考えるとき、いつも沖縄があった。それが、ぼくを救った。


ーーいい人ほど勝手な人間になれないから、つらくて苦しいのや、人間が動物とちがうところは、他人の痛みを、自分の痛みのように感じてしまうところなんや。ひょっとすれば、いい人というのは、自分のほかに、どれあけ、自分以外の人間が住んでいるかということで決まるのやないやろかと、ふうちゃんは海を見ているゴロちゃんやキヨシ少年を見て思った。(『太陽の子』理論社巻より)

 過去の罪を感じる自分のこころをどう扱うかは、人によると思う。この本を読んで思ったのは、やはり十字架を背負った自分の重荷を軽くできるのは、自分ひとりではなく、人生で出逢った人たちなのだ、ということ。他者との触れ合いのなかで、気づけば分からなかった自分の罪なるものの輪郭が浮き彫りになってくる、そしてそれを知り、受容した上で、その後の人生の生き方を考え、次へとつなげていく。神が人を救うのではなく、人が人を救うのだ。

 私には自分の罪を素地として多くの人のこころを動かす文章を書く力はない。灰谷さんのように、血を流して書いていない。非常に浅い部分での自己反省文ということが分かる(だから「書かないほうが良い」と、進言されたのかもしれない)。自身の罪と向き合い、井戸を掘るように突き詰める作業は尋常な精神力がいるに違いない。そこまでの勇気、覚悟がないのだろう。時期が必要なのかもしれない。

 ただ、これだけはいえる。この何日か、ブログを書く意味を見失いかけていたけれど、ブログというささやかな場で、自身を振り返りながら、「明日も生き続ける」という意志確認を自分に対しておこなうこと。そしてそれを、読んでくれる幾人かの人たちにも確認してもらうこと。それで十分ではないだろうか。出会った人たちへの謝意を表しながら。

太陽の子 (理論社の大長編シリーズ)

太陽の子 (理論社の大長編シリーズ)