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人体実験(10/8の日記)

http://instagram.com/p/fKc19MSqbJ/
前夜は9時半に寝落ちした。0時半頃に目が覚めて階下におりたけど、すぐにソファになだれこんで気付けば3時になっていた。単純計算すれば睡眠時間は十分なのに、どうしても起きられずに再び2階に上がって眠った。6時半に起床した。

午前中、家で用事をしていたら身体がフワフワしてきた。動けるし意識もクリアなんだけど、フワフワが止まらない。さらにまだ眠い。とりあえず仕事をひとつ片付けてブログを書いてソファに寝転び熱を測ったら、38度1分だった。

あら熱だ、どうしよう。午後には茶道の稽古が控えていた。と、ここで普通なら諦めて休むわけだけど、なぜかそんな気になれなかった。前述の通り心身共に「元気」だからだ。

さて、どうしよう。天井を見ながら、iPhoneを眺めながら、考えた。「熱が出たら何はともあれ休みましょう」という内科の先生のアドバイスが「熱 休む」の検索結果に出てきた。そうだよね。

でも本当に休む必要って、あるのだろうか?熱が出ても、体が動くのであれば、気力があれば、数値にこだわる必要はないのではないか?

逡巡したものの、結局、ものは試しにきもので出かけることにした。

きものを着るには相当な体力がいる。そして汗をかく。とりわけ帯のあたる部分と胸から脇にかけて大量の汗が出る。熱の体できものを着てのりきれるのか?でも一方で、発熱時には汗をかくのが良いとされている。ひょっとすると、きものを着ていた方が熱の体に良い効果がもたらされるかもしれない。

それともうひとつ、心身ともに「異常な」状態できものを着て茶道の稽古をしたら、いつもとは違う自分を体験できるのではないか、という興味が生じた。

勤め先のセンターでは身心変容技法研究というのが進んでいる。チベット、九州、韓国などのシャーマニズムや仏道修行、神楽、気功、舞踊など、身体の動きから精神の変化を図る修行や宗教的治療や祭事などの技法が人間にどんな影響を及ぼすのか、伝統的技法から人はどのような知見を得てきたのか、世界中から研究者を招いては研究会をもよおしている。

私にとっての身心変容技法は、きものと茶道だ。いつもと異なる高熱状態が修行に付加されたなら、どんな様子になるか、一度経験してみたかった。

ゆっくりときものをまとい、家を出てバスに乗って茶室へ向かった。着付けの段階では、久々の「やわらかもの」といわれる絹のきものに手こずったものの、冷静に順序をふまえて着ることができた。普通に歩ける。1時半すぎに入った茶室にはすでに師と5人の社中が稽古に励んでいた。先に着ていた社中さんがたの稽古を拝見し、後半に薄茶を点てた。

どれくらい違いがあったか、はっきり言えないけれど、まず全くしんどさは感じなかった。非日常の空間と格好で完全に意識が覚醒していたからだろう。さらに、作法を一定ペースで進行できた。ミスをして慌てる、ということがなかった。もちろんミスは幾つもおかしたけれど、指摘どおりに淡々とやり直した。集中力が上がっていたのと、余計な言動に使うエネルギーがなかったからだと思う。

他にも他の社中の点前で飲んだ濃茶の味が妙にクリアで美味だったことが印象的だった。でも期待していたほど劇的な変化は感じなかった。おそらく修行における自分の到達領域がまだ浅いからだろう。

家に戻ったら、案の定、きものと身体に巻いていた布がグッショリと濡れていた。体重が1.5kg減っていた。熱は完全に下がっていた。フラフラすることもなく、夜まで普通に過ごせた。何となく予想していた流れになった。人体実験を試みた研究者のような気分で、ちょっとした満足感を味わった。