好きだった「部分」

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週末に会った従姉から贈られたフレーム。

「こんな時期に渡していいのかな、と思ったんだけど、受けとってくれる?」と私を気遣いながら手渡してくれた。

従姉は筋金入りの愛犬家で、私が犬を好きになったのも彼女の影響だ。

犬の美容師の仕事が生業で、これまで数えきれないほどの犬を飼ってきている。今は地元の小学校のボランティアで犬についての知識をおしえているらしい。

そんな従姉が描いたしなもんの絵には、私が好きだったしなもんの特徴がぎゅっとつまっている。

少し困ったような表情。みけんのしわ。

そばだたせた耳。密集した胸の毛。

白い「てぶくろ」(もしくは「くつした」)。

犬も人も、ただ漠然と好きなわけではなく、好きな「部分」がいくつかあって、それが多ければ多いほど、「好き度」が高くなる。

人であれば、何だったかな。

私は、背中を好きになることが多い。肩から背中にかけて。

あるいは後頭部。

あるいは指の節。

そんな好きな「部分」をいくつ挙げられるかで、「好き度」も変わってくるような気がする。それは、フェティシズムとは違う気がする。

「神は細部に宿りたまふ」と言ったのはヴァールブルクだった。私にとって、好きな対象の細部もやはり重要なものだ。

異性だけではない。同性に対しても同じ。犬に対しても。

しなもんの面影がどんどん薄れてきていたこのごろ。

従姉の絵のおかげで、大好きな「部分」がビジュアルでよみがえった。

好き、という甘い感情とくるおしさとせつなさと共に。