はてなについて想う2013年、秋。

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 夕方、ひさしぶりにはてな京都オフィスに出社した。郵便物を受けとって、直接話したかった人たちと話して、総務スペースにある黒いソファに腰かけてメルマガの下書きをして、夫と会って、オフィスをあとにした。およそ1時間の滞在。

 8階のセミナースペースでstanakaと話しながらオフィス全体を見渡していたら、不思議な気分になった。ここ、はてななんだなあ、と。畳のコーナーにはほとんど喋ったことのないエンジニアがひとり黙々とPCに向かっていた。ああ、あの人もはてなスタッフなんだなあ、と。

 スペースの開発チームに可愛いメガネの女の子がいて、nmyから何か説明を受けていた。デザイナーの学生アルバイトさんらしい。8階のオフィスにふつうに女の子がいるんだな。そういえば今年のサマーインターンにもお茶目な女子エンジニアが参加していたそうだ。

 インフラチーム、ブログチーム、ブックマークチーム...etc. 各チームで黙々と作業する若者たちがいる。ヘッドフォンをつけて黒い画面に向かう人、スマホをいじりながらキーボードを叩く人、それぞれに集中して仕事をしている。ミーティングルームでは、去年入ったと思われるエンジニアとデザイナーが打ち合わせをしていた。笑いながら何かについてディスカッションしている。楽しそうだ。

 9階の編集部に置かれたモニターには、東京のはてなの様子が映し出されていた。このあいだ訪れたばかりの綺麗なオフィスを画面ごしにしばらく眺め、「誰もいないね」とsallyちゃんに言ったら「監視しているみたいにならないよう、人を映してないんです」と教えてくれた。

 ソファでたたずんでいると、お菓子置き場に男の子がやって来て、ゴソゴソと袋菓子を物色し始めた。「何を探しているの?」とたずねたら「明太子○○が好きなんですけど、すぐ食べられてしまって。でもここにはないですねえ」と照れくさそうに笑い、「かわりにこれ持っていきます」と醤油せんべいを抱えて去っていった。あの子、なんてIDというか名前なんだろう。たぶん初対面だ。

 オフィスを出たあとデミオで川端通りをとばしていたら、いろんな想いが交錯した。

 小さくてささやかな世界だった私の「はてな」はもうなくなった。家族のような仲間だけがいた私の「はてな」はもう存在しない。

 かわりに、インターネットを愛する優秀な若者たちが「はてな」をはたらく場として選び活躍している。彼らははてなのサービスを作り育て、使い手に提供するために自分たちの能力をおしみなく注ぎ、ここで日々を過ごしている。

 たくさんの若者たちの人生が、はてなという場所で息づいている。他のどこでもなく、このはてなを自分の生きる場にした人たちがいる。そして彼らのつくったものが世の中の多くの人たちに使われている。

 とても素晴らしいことで、とても誇らしいことだ。

 今はもう会社がどんなふうに成長していて、どんな社風が育まれているのか、外にいる私には見えない。けれどこうしてたまに訪れて眺めているかぎり、はてなはずいぶんと素敵な会社に変化したように思う。

 私だけがその変化に気付かず、変化に追いつけていなかった。

 今日、やっとその変化を受けとめられた気がする。遅かったけど、それは良い収穫だった。

 このあいだ、「はてなにとって私ってなんだろう」と夫に呟いたら、「れいこんには”ファウンダー”という肩書きがあるのを知っているか?その肩書きは永遠のもので、ファウンダーというのは”歴史”だから、書き換えられないんや」と言われた。思いがけない言葉だった。

 遅すぎたけれど、やっと自覚らしきものが芽生えたように思う。もはや何の役にも立たないことは自明だけれど、それでも何かしら出来うることはしていきたい。はてなで生きる人たちの存在に報いるために。

 満月を眺めながら、そんなことを想う夜でした。