運命論者

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 前回は大雪だった。私と彼女が休日に会う約束をすると、決まって気象状況が悪化してJR琵琶湖線のダイヤが異常となる。
 一年半前に約束したのは1月の日曜日だった。長浜にあるデザイナーズホテルでランチを食べようと11時半に約束したけれど、米原周辺に大雪が降って琵琶湖線が大幅に遅れた。それでもなんとか列車は走り、待ち合わせよりも40分ほど遅れたものの会うことはできた。
 今回は台風による暴風雨が二人の完全な障害となった。
 朝から吹き荒れる風と雨により運休となり、期待をしたものの昼までの復旧はかなわなかった。待ち合わせは烏丸御池からすぐのフレンチレストランだったので簡単に出会えると思っていた。
 しかし結局、彼女が乗るべき唯一の交通手段であるJR琵琶湖線は午後になっても走り出すことはなく、メッセンジャーのやりとりでリスケジュールすることになった。
 偶然といえば偶然かもしれないけれど、なぜか運命による計らいによる気がしてならない。私のなかでは彼女を求めていたけれど、神もしくはそれに近しいものが「今はまだ」と判決を下し執行したように思える。
 最近、そのような自分の力ではどうしようもない見えないものの働きを信じるようになった。運命論者に成り下がったといえばそうかもしれない。歳をとってしまったせいかもしれない。人生への諦念がそうさせているのかもしれない。けれど、そう思わざるを得ない出来事が私に降り掛かっている。
 国木田独歩の小説に「運命論者」というのがある。

「イヤ僕は最早もう戴きますまい。」と杯を彼に返し
「僕は運命論者ではありません。」
 彼は手酌で飲み、酒気を吐いて、
「それでは偶然論者ですか。」
「原因結果の理法を信ずるばかりです。」
「けれども其原因は人間の力より発し、そして其結果が人間の頭上に落ち来るばかりでなく、人間の力以上にしたる結果を人間が受ける場合が沢山ある。その時、貴様は運命という人間の力以上の者を感じませんか。」
「感じます、けれども其は自然の力です。そして自然界は原因結果の理法以外には働かないものと僕は信じて居ますから、運命という如き神秘らしい名目を其力に加えることは出来ません。」
「そうですか、そうですか、解りました。それでは貴様は宇宙に神秘なしと言うお考えなのです、つまり、貴様にはこの宇宙に寄する此人生の意義が、極く平易明亮なので、貴様の頭は二々が四で、一切が間に合うのです。貴様の宇宙は立体でなく平面です。無窮無限という事実も貴様には何等、感興と畏懼と沈思とを喚び起す当面の大いなる事実ではなく、数の連続を以てインフィニテー(無限)を式で示そうとする数学者のお仲間でしょう。」と言って苦しそうな嘆息を洩もらし、冷ややかな、嘲けるような語気で、
「けれども、実は其方が幸福なのです。僕の言葉で言えば貴様は運命に祝福されて居る方、貴様の言葉で言えば僕は不幸な結果を身に受けて居る男です。」

 運命論者が不幸なのかは分からないけれど、私にとって運命は大きな人生のファクトをもたらすものだと感じている。少なくとも今の私にはそれを信じる理由がある。