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誰のためのブログ?

 きのう、久しぶりにレシピブログを書こうと思って焼きリンゴの記事を書いたら、結構な数のアクセスがありました。ああ、やっぱり美味しいものを簡単に作ることって多くの(ネット上の)人にとって興味のあることなんだなあと再実感した次第です。手抜き料理が好きな(というかそれしか作れない)私が書くべきブログは、こういう簡単だけど美味しい系のレシピブログなのかもしれない。時々はこういった記事も書いていきたいなあと思ったのでした。

 ちなみに過去に最も多くアクセスを得たブログは、はてなダイアリーのときに書いたこのレシピです。

鶏もも肉にごま油ジューッ - tapestry

 これなど仕事の合間にわずか数分で書き上げた記事なのに、大変なアクセス数&ブックマーク数があって驚きました。何時間もかけてウンウン唸って書いた書評や自分語りにはたいした反響もないのに。多くの人の「食」への興味、そしてネットユーザーの「簡単だけど旨いもの」への情熱の凄さを感じた記事でした。ブログでのアクセスや読者数を得るためには、自分の得意な範疇でネットの人たちのし好に合った記事を書くこと、というのが肝要なのでしょう。

 レシピブログやハウツー系であっても、論考や自分語りであっても、読者にとってメリットのある記事だったら支持されるし、読み手にメリットがなければ通り過ぎられる。レシピやハウツーならその人の暮らしや人生に取り入れたい有益な情報かどうか。論考や自分語りなら読み手には書けない文章表現の妙や心に響く物語や考え方の提供など、その人の知的欲求を満たすコンテンツかどうかが大切なのでしょう。

 マーケティングという言葉は仰々しいし嫌いなので、あえて言うならやっぱりホスピタリティなのだろうな。相手のことを考えたおもてなし。

 しかしブログって、常に読者のお得感を満たすために書く必要があるんだろうか、という疑問もあります。普通に自分の日常を自分が書きたいように綴って、それで満足、という人が大半だろうし、もともとはそういう場なのだと思います。友人知人家族に読んでもらえる、コミュニケーションできる、というのがオンライン日記の良さなわけだし。

 一方で、最初は自分の満足感のために書いていても、そのコンテンツに魅力があるがゆえに不特定多数のネット読者からのアクセスを集め、気付けばアクセス数のために人を満足させるブログを書こうと本人が焦ってしまい、結果的に自分の書きたい記事じゃなくなってくる、そんな自己矛盾に陥る危険性が常にあります。プロならお客のために徹して書く。アマなら自分の好きなことだけ書いてよい。ブロガーはプロアマの隔てがない場所で自分自身のポジショニングや書き方を定めないといけないから難しいのだと思う。

 独立した自己観を持つ欧米人と、他者との関係性、協調性を重視した自己観を持つ日本人。文化心理学などではそのように区別されているけれど、たしかに他人からの目や評価をおおいに気にする日本人であるところの私は、☆(スター)やいいね!やブックマーク数やアクセス数をもらうことが嬉しく、それ自体がブログを書くモチベーションとなり、またそれ自体が目的にもなってしまい、気付くと疲弊しているときがあります。そんなときは、何も考えずにただ書きたいことを書く、という原点に戻るしかありません。

 そう考えると私の場合は、「自分のため、時々だれかのため」という最も煮え切らない、だけどこれが私だものしょうがない、という感じのブログを書いていることになる。アクセス数を得るのは嬉しいけど、そのためのブログを書き続けると私のためのブログではなくなってくる。だから、やっぱり「自分のため、時々だれかのため」というスタンスで気楽に綴っていきたい。だって私のブログなのだもの。

 なんだか今日は「ですます」調と「である」調が混ざってしまった。なんでかな。