夏の花

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 去年の夏、庭に植えた洋種アサガオが初めて大輪の花を咲かせた。苗の説明書には「初年度は咲きません」という旨の記述があって、その通り2012年は花を見ることなく夏を終えた。秋、冬、春が過ぎて、その存在をほとんど忘れていた。夏を迎えて壁面に葉を茂らせ始めても、花に対する期待はなかった。咲いたのは先週のおわり。一輪だけ、でも手の平よりも大きく、化学染料で染めたように鮮やかな、いかにも洋種といった風情で大らかに花弁を拡げた。あけっぴろげに。大胆不敵に。うしろめたさも、待たせてごめん、の断りもなく。

 かたわらには、毎年健気に白い花をつける多くの百合たちが可憐な姿を見せている。球根植物の良いところは、放っておいても毎年花を咲かせることだ。しかし経年で球根は弱り徐々に花の勢いは衰えを見せる。今年の百合たちも美しいけれど、少しずつか弱さを増している。いつか咲かなくなるのだろう。はかない。可憐だ。アサガオとまったく対照的だ。どちらの花も好きだ。うつむいて地面に花弁を向ける百合に自省と自制の心を得る。太陽に向かって、正々堂々と開くアサガオに生と性の力をもらう。

 今朝はアサガオに軍配があがった。どこまでも鮮やかな青く大きな花の塊に、「アナタはアナタで生きなさい」という声を聞いた。昨日、息子が5歳の誕生日を迎えた。小さく純粋な命はどんどん世界を吸収して成長している。もう母親の私有物ではない。だけど私は彼を守る義務がある。愛し育てる責務がある。彼を守りながら、私は私という花を全うしたい。世界は私を愛してくれている(であろう)し、私も世界を(心から)愛している。