『風立ちぬ』

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 土曜日の夕方、蒸し暑いけれど川からの風が心地よい川端通りを自転車で走って、宮崎駿監督の『風立ちぬ』を観てきました。

 前評判とかネット上の批判とか、そういうものはとりあえず気にせずに、私の目で観てみよう、そして感じよう、と思いました。

 視聴後の感想ですが、ただただ、きれいな映画だったなあ、という印象でした。

 飛行機に魅せられ、航空機設計に人生を捧げた主人公の二郎の無邪気で、無頓着な天才ぶり。愛嬌のある天才が時代の風を受けながらもひたむきに夢を理想を追いかける姿。航空機、昭和前期の人々、風景...。一つ一つのシーンの美しさに、作り手のとてつもない情熱と表現への愛を感じました。

 結核で苦しみながらも、二郎のそばで彼のかぎりある愛情を懸命に享受しながら支え、そして去った菜穂子。二人の愛し合うシーンも、やはり美しくて、作り手の理想とする愛の形にふれた気がしました。

 叙情詩のような映画でした。映画のタイトルが「風立ちぬ、いざ生きめやも」というポール・ヴァレリーの詩の一節、“Le vent se lève, il faut tenter de vivre”から成されていることからも、ああ、これはもう詩の世界なんだなあ、と最初から感じていました。

 Wikipediaでは、叙情詩のことを、

「抒情詩(じょじょうし)は、詩歌の分類の一種。詩人個人の主観的な感情や思想を表現し、自らの内面的な世界を読者に伝える詩をいう。....抒情には、直接内面を表現するもの、風景に寄せて内面を表現するもの、事物に託して内心を表現するもの、歴史的事件や人物に寄せて内面を表現するものなどさまざまな方法がある」

 と、書かれています。作り手の来歴、心情、理想、夢が、ジブリ映画の美的表現の極みともいえる表し方が、史実に、空想に、詩に、飛行機に、二郎に、菜穂子に託されて映像になったのだと、納得しました。

 自分自身の魂が揺さぶられ、突き動かされるような、そんな”感動”というよりは、きわめて美しいものに出逢った”感銘”という程度にとどまったのが、正直なところでした。

 心に残ったシーンは、ふたつ。二郎が終業後に同じチームの人間を集めて研究会を開いた場面。ものづくりに対するエンジニアたちの挑戦欲とワクワク感は、いつも目にしていた、はてなでの開発現場の持つ空気と同じものでした。今もそうなのか、かつてのものなのかは、分からないけれど。

 もうひとつは、菜穂子が結核療養で入った高原病院での治療風景。みのむしのように布団にくるまって、寒風のデッキで他の患者と共に横に並べられ、ひたすらに治る見込みのない病と向き合うシーン。結局、リアルなシーンにばかり引き込まれていたように思います。

 でも本当に、とてもとても、きれいな映画だった。

 ラストにかかった荒井由美の『ひこうき雲』で、ほんの少し、私の心のひだが揺れて、こみあげてくるものを感じました。とても細やかな揺らぎで、ただただ心地よい気持に包まれて、映画館をあとにしました。

 

風立ちぬ、いざ生きめやも。

 

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