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気づけば吸い寄せられるように水辺に向かっている、この季節。

理由を考えると、幼少期、夏休みごとに通った兵庫の祖母の家が川沿いにあって、夏じゅう毎日、川で過ごしていたからだったのではないかと思う。

祖母の家は、日本のへき地中のへき地と言っても過言ではない田舎のさらに奥にあった。姉と共に大阪駅で母と別れ、JRの鈍行にゆられて三時間か四時間。たくさんのトンネルをくぐり、宝塚、三田を経て柏原(かいばら、とよむ)駅でおり、そこからバスに揺られること40分。終点の小さな町の停留所につき、さらにタクシーで20分かけて山奥へと向かう。ひたすら続く田んぼと小さな集落を見送って、ここから先はもう峠しかない、という山のふもと、幅が10mほどの細い川のそばに祖母の家はあった。今では見ることの減った茅葺屋根の、汲み取り式の便所と蒔で炊く五右衛門風呂と納屋が離れにあり、だだっ広い畳の大広間が中心にあり、梅の木が生える庭に向かってひんやりとした板の張られた長い縁側がある、典型的な田舎の家屋だった。

私と姉と、多くのいとこたちは、春休みと夏休みと冬休み、ほぼ初日から最終日まで、祖父を早くに亡くして一人暮らしだった祖母の世話になりながら、この家で過ごした。

田舎での日々、とりわけ夏は、毎日のように川で遊んで暮らした。庭からは、木の板を斜めにおろして段々を付けた粗末なステップで川におりられた。少し山手にのぼると、遊泳にぴったりの深みに行きつくので、水着の私たちはそこで泳いだり、ダムをこしらえたり、魚獲りをして日中を過ごした。山からの水は冷たく、身体が冷えたら足もとにある太陽熱で熱くなった石をお腹に抱えて温まった。そしてまた水に入り、また石を抱えての繰り返し。お腹が減ったら縁側で従姉妹のおねえちゃんが作ったラーメンを食べたり、祖母のおにぎりやスイカにかじりついた。

たまに探検と称して、集落のいちばん先を抜けて峠道に入り、滝壺まで歩いて行くこともあった。険しい山路の途中、山肌に張り付くように建てられた神社があって、その境内を抜けると、澄み切った緑の水を深々とたたえた滝壺に出た。大中の岩がゴツゴツと配された滝壺は樹々に覆われ、水は深く、水音は激しく、周囲は暗く、子供心には荘厳さと神秘を感じるというより、ただひたすら怖かった。畏怖という言葉にあてはまる感覚はあの滝壺から教わったように思う。

岩の隅に立ち、山肌を削るように落ちる滝と、渦巻く水の淵をただ眺めるだけで、探検者は十分にその気分を味わえた。

いちど、足を滑らせて、滝壺に落ちかけたことがあった。どうしてそうなったか記憶にないけれど、腰あたりまで落ちかけて岩にしがみつき、姉と従姉妹にひっぱりあげてもらったときの恐ろしさを今でも覚えている。水底から河童が私を狙っていたのか、自分から吸い寄せられたのか。緑色の水の冷たさだけ覚えている。

川が田舎になかったら、などと想像もできないほど、川と共に過ごした夏だった。浅瀬で冷たい流れに全身を横たえて、樹々のあいだから見える青空を眺めていた午後。トンボが頭にとまって、そのまま捕まえたり、アブに襲われて逃げ惑ったり…。私と姉と数人のいとこたちとで、大人の監視もまったくなく、ただ川と共に過ごした夏。

祖母は私が高校生の頃だったかに、認知症を患い親戚の家を点々とした末に尼崎だったかの病院で亡くなった。田舎の家は荒れ果て、ハタチの頃に取り壊された。地元に住む叔父さんが操る大きな重機が、縁側を、納屋を、便所を、風呂を、バリバリと壊していった。瓦礫のなかにただひとつ、太い大黒柱だけが倒れずに残った様子は壮観だった。夕暮れの焼け野原でくずれおちる直前の兵士のようだった。その大黒柱も屈強な重機によって倒された。祖母の歴史が、私の子ども時代が終わった瞬間だった。その後、少し離れた親戚の叔母さんの家で皆でご飯を食べた。叔母が握った黒豆の握り飯が美味しくて、何個も食べた。

それ以来、長い間、夏を過ごした田舎に足を向けることはなかった。八年ほど前、叔母が亡くなったときに葬儀に参列し、十六年ぶりぐらいで訪れた。滝壺のある峠にももひとりで歩いて行ってみたが、やはり怖かったので、落ちたところまでは行かなかった。もし今度、行く機会があったなら、誰かを連れていこう。

川は今も私の暮らしと共にある。川があるのでなく、私が執拗に川につきまとっている。わざわざ鴨川の近くを住まいに選び、街に出てもこうして高瀬川に吸い寄せられる。そういえば東京では目黒川のお世話になっていた。川べりにおりられなかったのが目黒川は残念だった。

揺れる水面を見ていたら、いくらでも時間が過ぎてゆく。そういえば、私たちが川であれほど長く過ごしていたのに、祖母が川辺に立つ姿を見たことはほとんどなかった。祖母の魂は今ごろ何処にいるのだろう。いつか会えたら、あの頃に世話になった感謝を伝えなければならない。

 

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