温泉ブログ

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土曜日に鴨川デルタで祝祭的空気を満喫したのに味を占めて、日曜日もお弁当とビールとりんごジュースを買って、息子と川に繰り出した。

前日ほど奇跡的な雰囲気ではなかったものの、土手に腰をおろして、350円のアジフライお弁当をふたりで分け合って、石投げや宝探しに夢中になる息子の様子を眺めながら、おっさんみたくちびちびとビール(発泡酒だけど)をやる蒸し暑い夕暮れ時も悪くなかった。

私には、ずいぶんと社交的な面と、心を閉じてひきこもる内向的な面とが、両極端に存在している。

ずいぶん長いあいだ、ブログのスタイルをどうするか悩んでうまく書けない時期が続いていた。社交家とひきこもりと、どちらの自分が何を誰に向けて綴ればよいか分からなくなっていた。社交的な私が読者に向けてあれこれアピールするブログにするか、うちにこもった自分がぶつぶつ呟くブログにするか、どっちにするか相当に迷っていた。たぶんブログというより生き方そのもので迷い悩んでいたのだろう。

アフィリエイトでお小遣い稼ぎしたいなら社交的ブログだよなあ、でも私が私の言葉で綴れる数少ない場所だとしたら内向的ブログだよなあ。社長の奥さんとして書くなら社交的ブログ、素の自分として書くなら内向的ブログ。ああどうしよう、どうすれば、ぶつぶつ。

そしてようやく、答えがみつかった。単純で申し訳ない結論だけど、「自分のこころの泉(たいして深くないが)から湧き出る想いを、書きたいときに書く以外、継続の道はないのだ」と、思うに至った。

タイミングや分量などは、私ですら管理しきれない。地道な温泉ハンターか井戸掘り職人のように、こころの源泉からのサインをキャッチしたときに書くしかない。湧き出てくる想いと言葉に忠実になること。結局のところ、読む人を意識しないで書かなければ、わざわざブログを書く意味などないのだ(私にとっては)。

クリエイティブに縁のない私だけれど、なぜかブログの編集画面に向かうときだけは、私だけの泉から湧き出る何かを感じることができる。そこに恣意も気遣いもホスピタリティも必要ないよね。

しかしあまりに意味不明というか思わせぶりというか誤解を招くような表現には、待ったがかかるもので。だから実はプライベートなブログも用意している。源泉掛け流し的な想いと言葉は、門外不出なのである(かもしれない)。