少しずつ

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いい加減、ブログのトップ画像にしなもんの死に顔をのせておくのも良くないと思うで、新しいエントリーを書こうと思う。

しなもんが死んで2週間が経過した。最初の一週間はブログの反響もあって、たくさんの人が訪問してくれたり、メールをくれたり、献花や差し入れを届けてくれたりと、とても賑やかだった。基本的には人間が死んだときとほとんど変わらない流れだったと思う。犬であること以外で大きく違うのは、私にとって初めて祖父母よりも身近な存在の肉親(といっていいと思う。犬でも)を亡くしたということだった。

一週間経ったあとの週末。たまたまぽっかりと時間があいて一人になった土曜日。もはや何も考えることができず、ソファになだれこんだ。何も考えられなくなり、でも何かしなければと、空虚と焦りを埋めるためにひたすら家に存在する食べ物を手当たり次第食べ続けた。ついでにお酒も飲んだ。ついでどころか相当飲んだ。胃腸の強い私なのにずいぶんとしんどくなった。

二週目は、普通に仕事も行ったし、人づきあいもしたけれど、完全に鬱状態だった。楽しみにしていた夏物の着物の仕立てが終わって届いたけれど、袖を通す気になれなかった。淡々と色んな作業はこなしながらも虚ろな時間が過ぎるばかりだった。

何よりキツかったのは、毎日のように夢を見ることだった。最も記憶に残った夢は、元気だった頃の太っていたしなもんが私のところにやってきた夢で、私はしなもんの胴に両手をまわして抱きしめて、床に寝そべったしなもんの横腹に自分の頬をうずめてじっとしていた。そのときの毛の感触やお腹の柔らかさがあまりにリアルで、明け方に目を醒ましたとき、薄暗い部屋のなかで視界に入った白い天井を眺めながら、あのまま夢が続いてくれたら、と朦朧とした意識のなかで切実に願い涙が流れた。

それでも、世間はまわっているし、私にもやるべきことがあって、それは残酷な事実だけれど厳しくも優しい癒しへの道でもあるのだろう。

どうしても書き上げなければならないセンターのウェブの記事があった。哲学者の鷲田清一さんの講演会の報告記事だった。私の技量では到底すぐに書き上げられず、何度も何度も録音を聞いて、必死でまとめた。絶不調のなか難しい記事が書けるわけがないので、何度も何度も逃避しては作業に戻り、逃避しては作業に戻った。その逃避先は推して知るべし、無論インターネットだった。それでもなんとか書き上げた。幸い記事は喜ばれた。

他にもたくさんの「邪魔」が私を襲って、私のセンチメンタルを押しのけて色々なノルマが私を追い立てて、私は髪を振り乱しながら、暴飲暴食、深夜の徘徊などを人知れず織り交ぜながら、やるべきことをやった、というか、やらされた。

そして、どうやら私は少しずつ愛するものを失った傷を背負いながらも、このまま生きていくことになりそうだ。

もし先週、誰も私のことを求めず、仕事も与えず、メールもよこさず、卵かけご飯が食べたいとかサンドイッチにしてくれとか面倒なこともリクエストせず、私のことを放置していたら、私はうっかりクルマで北陸でも行って東尋坊の断崖を眺めていたかもしれない。

しかしことはそんな風にはならず、私は、色んなモノ・コト・ヒトに巻き込まれて動かされて、生かされている。

本当の私の苦しさを他者は知らないし共感も同一化もしてくれないが、それぐらいの配慮のなさ加減が人を救うのかもしれない。

こうして、少しずつ私の日常が戻ってくるのだろう。

二週間目のさいご、東京から花が届いた。あまりに静かで可憐な花のたたずまいが、むしろ今の私に癒しを与えてくれて、気付けばぼおっと眺めている。