汗をかきかき

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昨日は、東京から大切な客人があった。

何を着ていこうかと考えて、深緑の絹の着物に朱色の同じく絹の帯にした。

京都に住んで十余年、死ぬまでに日本人らしいことを何かひとつでも身につけたいと思って着物を着始めたのは昨年秋のこと。同時に茶道も始めて、今では稽古の日と少し気合を入れたい日には着物を着るようになった。

昨日はとても暑かった。着物を着る頃には、おそらく気温は三十度を超えていただろう。

着物にはルールがあって、十月から五月までは袷(あわせ)という、裏地の付いた二枚重ねのものを着る。六月は一枚ものの単衣(ひとえ)、七月と八月は薄物(うすもの)と言われるさらに薄い着物を着る。

ルール上は袷を着ないといけない。なので、深緑に朱色の花模様の入った絹の袷を選んだ。時間に余裕はあるので、ゆっくりと着始めた。

襦袢(じゅばん)に袖を通し、腰ひもをぎゅっとしめると体が上気してきた。着物をはおって、丈を決めて慎重に体にそわせて、また腰ひもをしめる。

暑い。気付くと額にじわじわと汗。首もともじっとりとしてきた。

それでもなんとか着物を着付けて、帯にとりかかった。着物の花模様と同じ朱色の帯。二重にぐるりとしめて、ぎゅっと力を入れる。

その瞬間、みかんを絞ると果汁がしたたるように、額から汗がボタバタとこぼれ落ちた。汗のしずくは襟元に着地し、とたんに深緑の襟元に大きな染みができた。

「もうおしまいだ。」

誇張ではなくそう思った。その理由はふたつ。絹に汗を落とすと必ず汗染みができる。それを落とすのは至難の業だ。さらに今から着物を着替えて待ち合わせに間に合う見込みはない。

ショックすぎてしばらくあっけに取られていた。「これが夏に着物を着るということか」。そう、ここまで暑い日はこれまでなかったのだ。袷(あわせ)のシーズン最後の洗礼を受けた初心者の悲劇。

しばらくへたりこんで、そして立ち上がって着物をぬぎ、仕方なく麻の半袖シャツとスカートに着替えかけたそのとき、待ち合わせの相手から電話がかかり、予定より1時間遅く会うことになった。

1時間の猶予。間に合うだろうか。3分ほど真剣に悩んだが、えいやっと思い切って洋服を脱ぎ捨て、衣装ケースから木綿の一枚ものの久留米絣(かすり)をわしづかみにして、リベンジ開始した。

自分で驚くほどの会心の着付けだった。結果、20分少々で着終えることができた。ピンチはチャンス。

時間が余ったので、四条河原町の高島屋に出向いて日傘を買った。生まれて初めて買う日傘。着物を着なければ、買うこともなかったかもしれない。

相手から電話がかかった。寺町二条のみっちゃんの店、清課堂で待ち合わすことにした。清課堂は日本で最も老舗の錫と金属細工の店。みっちゃんはそこのおかみさんだ。

久留米絣に白い日傘なら、ふりそそぐ日差しも私の味方だ。スタスタと寺町を北上し、待ち合わせの場所へ向かう。紺色のジャケットを着た相手が汗をかきかきケータイで誰かと電話をしている。

電話が終わって、やっと挨拶をかわした。「お、着物ですね」と驚かれた。「そうなんですよ」と、とびきり涼しげに返事をした。1時間前の葛藤と格闘のことはもちろん内緒だ。

帰宅して、脱ぎ捨てたままの洋服を片付けて、汗染みがついて出番を失った深緑の着物の染み抜き作業にいそしんだ。ベンジンをつけたガーゼを当てて、トントントンとリズミカルにこすり続ける。少しだけ跡が残ってしまったが、ほとんど目立たなくなった。でも染み抜き業者に頼んで消してもらったほうがよいだろう。

やれやれ。疲れた、疲れた。

でもやっぱり着物っていいもんだ。帯や腰ひもと共に身も心もひきしまる、あのピシッとした緊張感と心地よさはやみつきになる。

きもの道は、けもの道。

わけいってもわけいっても届かないけれど、それがまた楽しいものなのだ。