ならぬはひとの

 常に酸欠であっぷあっぷと水面に顔を出す金魚のような日々だった。今もさして変わらないけれど、少しラクになってきた気がする。

 自分のなかで「こうありたい」「こうあるべき」という理想を持ちすぎると、それが自分を苦しめることになる。日々の暮らしなど理想どおりになるわけがない。そもそも理想が現実の延長線上にあると思う事が間違いだ。

 デジタル大辞泉によると、理想は「人が心に描き求め続ける、それ以上望むところのない完全なもの。そうあってほしいと思う最高の状態。」「理性によって考えうる最も完全な状態」ということらしい。理想の暮らしを手に入れたとしたら、そこから転落が始まるものだと思ってしかるべし、なのだろう。

 私の場合、足りないものを数えがちで、こうありたいと望む状態が大きくて、そこに達するためにやるべきことを考えると、その作業の多さと理想と現実のギャップにおののき途方に暮れ、結局は思考停止、活動停止、現実逃避になってしまうという、なんとも愚かな状況だった。

 どうしてラクになったかというと、「現実を受け入れること」。これしかない。

 今の自分を肯定すること(ある意味ひらきなおること)、やれることからひとつずつやるしかないと腹をくくって、まずは目の前のことをやっていくこと。

 とりあえず理想を神棚に置いといて、他人の評価を気にしたり他人との比較をすることは他人に任せて、自分レベルで満足できるようコツコツ日々の作業を進めること。

 なせばなる なさねばならぬ なにごとも ならぬはひとの なさぬなりけり。

 なるとかならぬとかいって、結局まだ理想を求めているわけだけれど、とりあえず、ひとつずつ「なす」ことから始めた年度はじまりである。