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年度はじまり

 改札横の柵越しに息子を受けとった父は、地下鉄御堂筋線淀屋橋駅の雑踏に消えていった。華麗にパスをさばくラグビー選手のようだと思いながら、若干のあっけなさを感じつつ、改札近くにあるジューススタンドでマンゴーオレンジジュースSを買って、出町柳行きの特急に乗った。車内には小さい子どもを連れた家族連れがちらほらいる。隣の席に座った幼稚園児ぐらいの子ども2人が大騒ぎして、母親が困りきっている。かたわらにいるおばあちゃんが、「ほらほらぁ、ぶーぶーが走っているよ」と孫の注意をそらそうとするも効果なし。冷ややかな視線を送る周囲の乗客と、痛いほど無力な若い母親の様子に、息子を親に横パスしたばかりという状況も相まって、いたたまれない気分になってしまった。

 4月1日。大学では年度はじまり。一般的にはエイプリルフール。引き続き雇用契約を更新した今日、自覚がないけど私も大学職員のはしくれ2年目だ。ショクインという言葉が堅苦しくて古典的で良い感じだ。職員証だって生協カードだって持っている。でもキョウトダイガクを出たわけじゃない。夫はそうだけど。今度生まれてきたら、私もUさん(うちのセンターの花形准教授。夫の同期)みたいに才色兼備でシンポジウムや新聞の対談でバリバリ発言するような一流研究者になってみたい。それはそれで相当ハードな人生のようだが。

 節目とか行事とかを大事にしないとバチが当たるぞ、となかば強迫観念気味に思っている最近なので、年度はじまりもちゃんと出勤しなければと思っていた。しかしあろうことか、保育園が春休みだ。働く親のための保育園なのに、容赦なく春休みや夏休みが設定されている我が子の保育園。なじみの託児所は同じ境遇の親が多いせいで満杯、頼りのカワムラさんは関東に里帰り中。となれば、すがるワラは実家の親しかない。ということで、4月1日の朝、我々はおけいはんの特急で淀屋橋へと向かい、冒頭に登場した父が堺から南海電車と地下鉄を乗り継いで淀屋橋までやって来て、晴れて受け渡しの儀(横パス)が完了したのであった。

 オフィスに入ると、想像をはるかに超えた年度はじまりっぷりだった。助教室では、新参の研究員のデスク配置のために大掛かりな模様替えが繰り広げられていた。私の仕事場と隣接しているY先生の部屋には、新しい院生が1時間ごとに次々に入れ替わり立ち替わり面接に訪れている。その合間に今日からセンターに入った人たちがY先生のところを訪れ、挨拶やら辞令公布の受け取りやらワラワラとせわしない。廊下では事務で長く働く仲良しのT嬢が、異動してきた新しい上司たちにコピールームの在処やカードキーの使い方を一生懸命説明している。そういや昨年の6月、私もT嬢から説明を受けたなあ、初対面なのに親切で優しくて、T嬢のおかげでずいぶんと救われたものだ、と当時を思い出した。T嬢は古い上司が3月末で職場を去るために、ここ数週間は引き継ぎや手続きで休日出勤までしていたらしい。どうりで顔がやつれ気味だ。年度末、年度はじまりというのは、相当手強いヤカラのようだ。

 色んな人の往来を眺めつつ、私自身は淡々といつものように原稿書きにいそしんでいた。隣の部屋からY先生がやってきて、バタリとセンターテーブルにひれ伏した。「こ、こんどうさん、お茶、いれてくれない?」と、息たえだえの様子。Y先生がお茶を頼んでくるなんて、珍しいことだ。見ればT嬢に負けず劣らず消耗した様子。あれだけ学生や新スタッフや来客の相手を繰り返したら、疲労困憊になるはずだ。「大病院のお医者さんみたいですね」と言うと、苦笑した。テーブルには山ほど菓子折りが積んである。いわゆる上納品らしい。Y先生がそれらの包み紙をビリビリ破る。「またラスク。なんでだろ」「最近、流行ってるみたいですよ、ラスク」「へえそうなの」「駅でもよく売られてますよ」。他愛ない会話を続けていたら、また次の患者が緊張の面持ちでやってきて、先生は再びシャキッと名医の顔になって応接室へと消えていった。私は再び原稿書きへと戻る。

 お昼休みの後半になり、T嬢がご飯を買いにいくというので、一緒に行くことにした。近所のアースキッチンというオーガニックな材料しか使わない店に入ったら、まさかの混雑。「さすが年度はじまりですね」と言いながら、はまちの照り焼き弁当を注文。T嬢は鰆のムニエル。20分ほど待たされて、戻ったら昼休みがほぼ終わりの状態。「わたし、食べれないわ」とT嬢、打ちひしがれた様子で事務室へと戻って行った。私のいる部屋と違って、事務室は大人数なので時間外にご飯を食べられる雰囲気ではない。ああ、可哀想なT嬢。私は届いたメールを見ながら「おそ弁」を楽しむ。K先生からエイプリルフールの嘘つきクラブみたいなすごいメールが届いていた。内容にコーフンして、はまちと一緒に舌を噛みそうになった。あいかわらずY先生は面談している。昼ご飯は食べたのだろうか。

 月刊観世というマニアックな能雑誌の掲載コピーが届いたけど、読みづらいので現物が欲しいと思って、別のK先生の部屋へ出向く。研究員のOさんがいて、先生は不在だという。Oさんは若手の将来有望株(っぽい)で、見た目も爽やか、応対も丁寧で、見るからに仕事も真面目そう。用件を言って部屋を出ようとしたら、「あ、そういえば僕、論文を書きました」「ではウェブで紹介しましょう。また内容をメールくださいね(ニコ)」「分かりました。あ、それから、僕、先日入籍したんです(ニコ)」と、報告してくれた。式は来年の予定だという。K先生がお祝いの法螺貝を吹き鳴らす様子が浮かんだ。

 夕方になって、私の部屋にT嬢がお弁当の袋をさげてやってきた。センターテーブルにひれ伏して「ここで食べさせてもらいます」。さっきのY先生みたいだ。「Tさん、先週も休日出勤したんですか。聞きましたよ」「そうなんです。やってもやっても残務がさばけずにね。私、しばらくはうなだれてると思いますけど、そっとしてやってくださいね」「そうですかー」とか話しながら、定時になったので食事中のTさんに別れを告げて、オフィスをあとにする。あいかわらずY先生は面談をしている。

 小走りでいったん家に戻り、急いでクルマに飛び乗った。夕暮れの川端通りは、幾本も並ぶ桜が薄ピンクの花々を揺らしている。たくさんの散歩びとや観光客が一様に嬉しそうな様子で歩いている。浮かれてる、という言葉が最もふさわしい情景だ。三条あたりから早くも渋滞になってきた。息子のいる堺まで、第二京阪はいつもスイスイ走れるけれど、これじゃ京都市内を抜ける時間のほうが長くかかりそうだ。

 阪神高速京都線の入口にたどりついた頃には、薄暮の時間になっていた。スピードを上げて右車線でどんどん進む。視界に入っては消えて行く桜の薄ピンクたち。昨年の桜の季節には、自分がこんな生活をしているとは夢にも想像していなかった。才色兼備のUさんから携帯に電話が入ったのは、まさに去年のエイプリルフールだった。東京に単身訪問中で、かつて住んでいた世田谷の都立大学あたりを歩いているときだった。「大学の広報に興味はないですか?」。はっきりいって、なかった。目の前の自分の人生をなんとかすることしか、頭になかった。しかしなぜか京都に戻って詳しい話を聞く約束をして電話を切った。気付けばUさんに連れられてY先生の部屋で面談していた。今日、ひっきりなしに訪問していた若者たちのように。人生、どこに転ぶか分からない。そして今、この道を走っている。

 高速道路。ぴゅんぴゅん過ぎ去る桜のピンクは、闇とネオンに紛れて消えてしまった。息子はきっとおじいちゃんおばあちゃんと、食卓でおおはしゃぎしているだろう。飛び去る景色のように私の思考も散漫になる。無事に息子を京都まで連れ帰ったら、母が持たせてくれるであろうおかずと共にビールを飲もう。松原あたりでガソリンが切れかけているのに気付き、大慌てで高速を降りた。まだまだ先は長い。

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