ドイツのやわらか湯たんぽ

f:id:reikon:20171119154800p:plain

ホカホカの湯たんぽが活躍する季節になりました。

カリフォルニアに住んでいた頃、最高に気持ち良かった夏とうってかわって、11月からの雨季は寒くて晴れ間がなくて辛い日々でした。おまけに家の南側が鬱蒼とした林だったから、たまの晴れの日にすら家に日差しが入らなくて、いつも身体の芯から冷えていました。

およそ2年間の米国滞在でしたが、最後の冬は夫が先に帰国して、だだっ広い家で私と犬だけで過ごしました。夏にはあんなにたくさんの人が日本からやってきて毎日のように庭でディナーを楽しんだのに、街路樹の色が変わる頃にはすっかり状況が変わってアメリカを離れる話が持ち上がり、ちょっぴり不安な季節が到来したのでした。

住んでいたマウンテンビューの白くて古い家のセントラルヒーティングが効かなくて、電気ストーブをつけるとすぐにブレーカーがとぶし、暖炉は怖くて使えない。苦肉の策として、Amazonで湯たんぽを見つけて注文しました。

当時はAmazonですらネットで買い物をしたら到着まで1週間、長ければ半月かかることもざらで、この湯たんぽの到着がどれほど待ち遠しかったか!!

湯たんぽは、ドイツのFashyというメーカーのもの。お湯を沸かして、そっと注ぎ入れて栓を閉めたら、ぷっくりとふくらんで、見た目にも可愛い。毛布やひざ掛けの中で抱きかかえると、移動式のこたつのようにあたたまります。

初めてお湯を注いで抱きしめたとき、嬉しくて、身も心もあったまって、小さな湯たんぽに手を合わせたくなるほどでした。

この手の湯たんぽ、今では日本でも人気なんですね。探してみたら、売っていました。

思いがけず、厳しい寒さに打ちのめされたカリフォルニア暮らし。

寒くて心細くて、でもお腹の中にいる小さな命と足元にいる老犬と共に、大好きなアメリカで暮らしているという事実だけで幸せでした。

ポカポカの湯たんぽをお腹にのっけて、犬の背中を撫でて過ごす夜。何をするともなく過ごしていた日々。孤独だったけど、楽しかった。

独りだった私を気づかって、ランチやディナーに誘ってくれた梅田さん夫妻やNaokoさん、近所に住んでいた不動産屋のおばさん(名前を忘れてしまった)、日本からやってきて、私を頼ってくれたスタートアップの若い人たち。ささやかなコミュニティに守られながら、彼の地の暮らしを私なりに満喫しました。

木枯らしの吹く寒い昼下がりには、あの頃を思い出します。

便利な中華せいろ

f:id:reikon:20171117184934p:plain

独り暮らしを始めたとき、真っ先に母がくれた調理道具のひとつがせいろでした。

料理教室をしている母は、調理道具を大阪の道具屋筋で買っていました。せいろも「ついでのときに買っといたの」と言って、送ってくれました。

もらった当時は、せいろがこんなに重宝すると思っていませんでした。

蒸気の力ってすごいです。なんでも美味しくします。

電子レンジでもじゅうぶん代用できるけど、せいろで蒸すと、美味しさが違う。素材の持ち味を蒸気がぐんと引き出してくれる感じ。

調理方法は、あってないようなもの。肉も野菜も魚介も、とにかく火が通るまで蒸すだけ。素材の硬さに応じて時間調節する、蒸しすぎない。それだけがコツ。

蒸しあがったものをお皿に盛って、気分に応じて好きな調味料をかけるだけでご馳走になります。 肉や魚介を蒸したあとは、鍋に残ったお湯が栄養たっぷりのスープになります。これは明日からの料理に活用できます。

昨夜は、ブロッコリーとカブとネギを熱々の湯気の上がったせいろで蒸して、オリーブオイルとだし醤油と塩とレモン汁をかけていただきました。 深夜の晩ご飯でも、翌朝、胃がもたれなくて、身体が綺麗になったような気がします。

f:id:reikon:20171117190022p:plain

おすすめはチーズフォンデュ。 といってもチーズを蒸すのではなく、フォンデュの具として一口大に切った鶏肉、人参、大根、カブ、アスパラガスなどをせいろで蒸して、バゲットと共にチーズにひたしていただきます。 簡単でとても美味しいご馳走になります。白ワインをお忘れなく。

使い終わったら、さっと洗って乾かすだけ。見た目も素敵なので、乾燥をかねて常に外に出しておけば、インテリアにもなり台所のこやしになりません。

忙しい人にこそおすすめしたい、せいろを使った料理。

我が家で活躍しているのは、21センチのもの。二段あって、蒸す量に応じて一段、二段と使い分けています。下の鍋もセットで売られているものがありますが、我が家ではたまたま元からあったステンレス鍋がぴったりだったので、それを流用しています。

ちなみに15センチサイズのものもあります。下の段に野菜、上の段に焼売をのせて、蒸しあがったら食卓にそのまま出して食べると、独りの食事でも華やぎます。

独り暮らしを始めた私に母がせいろをくれたのは、かんたんな調理で栄養をとってほしい、という親心からだったんだろうなあと、しみじみ思います。

今日は、このあいだ実家で畑仕事を手伝ったときに収穫したさつまいもを蒸す予定。ほくほくのおいも、蒸しあがるのが楽しみだ。

便利なせいろ、これからの季節におすすめです。

子どもとゲームと親の関係について

f:id:reikon:20171104163848p:plain

子どもとゲームと親の関係について思うことをしたためます。

うちの子は父親がウェブの会社をやっていて、偶然にも子どもが生まれた2008年からは任天堂と仕事を開始した。そんな環境も手伝って、iPadiPhoneは2才ぐらいから、ゲームは保育園の年中ぐらいからスーパーマリオマリオカートをやるようになりました。

今は家にはSwitch、WiiU3DS、子ども用のiPhoneがあり、毎日のようにクラスメイトが家にやってきます。週末には保育園時代からの友だちが遊びにくる。お目当てはやはりゲームです。

そこで気になるのが、子どもたちの親のゲームに対する嫌悪感だ。親たちと話をすると「ゲームばかりして」「ゲームを欲しがるけど買わない」「ゲームは一日1時間に限定している」と、アンチゲームな言動が多い。おしなべてゲームは悪だと思っているようです。

本当にゲームは悪でしょうか?

私も一時期は子どもがゲームにばかりのめり込むので、どうしたものかと悩んでいました。家にはレゴや積み木やパズルやボードゲームが山ほどあるのに、なぜゲームばかりするのだろう、どうしたらゲーム以外のことに夢中にさせられるのだろう、と困っていました。

観察していたら、ゲームはとてもよく作られていることが分かりました。多大な時間とおカネをかけて開発され、使い手を楽しませるために売れるために作り上げられたゲームは、子どもが他のことに見向きもしなくなるほど面白く、繰り返しやっても飽きることがありません。私はゲームはやりませんが、子どものプレイを見たり会話を聞いているだけでもそう思います。中毒性はありそうです。だから悪かといえば、悪かもしれません。

そのゲームを子どもがずっとやっていて、良くないかと言えば、やはりそれだけしかやらないのは良くないでしょう。ゲーム以外のこと(運動や勉強)をしなくなって、ゲームにのめり込むとすれば、問題です。

要はバランスで、そこで必要なのが、親の理解と介入です。

うちでは放課後に子どもたちが4〜5人やって来てゲームを始めますが、だいたい1時間半ほど経過したらその後は外で遊ぶように家から追い出しています。追い出すときには「これだけ十分にゲームをやったんだから、後は公園でたくさん体を動かそうね」と説明し、一緒に片付けをしてから見送っています。彼らは抵抗するかと思いきや、しぶしぶ言いながらも散らかったお菓子のゴミやリモコンをしまい、しまいにはみんなで嬉々として公園に繰り出していきます。

子どもたちが外に出かけていく様子には、どこかゲームから離れることのできた解放感すら感じます。デジタルものに長時間触れると脳が疲労するのでしょう。外の空気を吸って、日が暮れる頃にはリフレッシュした様子で帰宅してきます。

ただ、放っておけば子どもたちの方で腰をあげて外に遊びに行く、なんてことはまずありません。ゲームをいったん始めると、大人でもなかなか離れられませんよね。スマホだってそうです。だから、子どもには「ゲームから切り替えさせる」大人の介入が必要です。

なお、休日にはもう少し長い時間プレイしても良いことにしていて、半日ゲームしたら半日は外に出るなど工夫しています。雨の日も室内ドッジボールとかボルダリングジムや広々とした博物館に行くなどで体を動かすようにしています。

また、どんな風にゲームをやらせるか、どんなゲームを選ぶかも大事になってきます。 うちでは今は主に「マインクラフト」と「スプラトゥーン」をやっていて、マイクラは4人まで同時にやれるようコントローラーを増やしています。マイクラでは仲間と知恵を出しあって、時にはこちらが驚くような見事な世界を構築しています。牛や鶏を無駄に殺したり村人をいじめるようなプレイをしていたら、横から口をはさんで「ゲームだからって命あるものをいじめたらあかーん!」とたしなめています。

スプラトゥーンはSwitchでやりたい子が複数いたらちゃんと順番交代でするように、独り占めしそうな子にはあらかじめ釘をさしています。順番にあぶれた子はスマホ3DSで小さめのゲーム(トロッコやねこあつめ、にゃんこ大戦争、ぷにぷになど)で遊んでいます。また、ゲーム初心者の子が来たときのために、Nintendo LandマリオカートWiiリゾートのようなシンプルな操作でワイワイと楽しめるゲームも用意しています。子どもですから多少のいざこざはありますが、おおむねうまくまわっています。

今や切っても切り離せない子どもとゲームの関係。あきらめるのではなく、拒絶するのでもなく、理解した上で、うまく子どもと付き合わせるために、親も努力して、工夫する必要があるのではないでしょうか。

放課後の子どもを観察している暇なんてないわ!という親が多いと思います。私だって本当は、バリバリと働きたいです。でも、今はまだその時期じゃないと思っているので、あえて仕事の時間を減らしています。それができるのは恵まれているとは思います。 だから、働いている親の子がうちに来たら、自分の子と同じようにお世話をしているのです。何十人も何百人もお世話することはできないが、多少は人の役に立っているのではないかと思います。

ちなみに将来、ゲームをしていたら職業面で得かどうかは、私にはよく分かりません。

ただ、個人的に思うのは、私の周りでIT、とりわけウェブサービスの業界で楽しそうに働いている若い世代は、多くの人が子どもの頃からゲームが好きで、今なお楽しそうにゲームの新作を追いかけています。 うちの子どもがこの先、どんな風になるのかは分からない。もしかしたら、ゲーム漬けになってひきこもるのかもしれません。あるいはゲーム以外のことに夢中になって、まったく想像を超えた仕事につくのかもしれません。

今、親である私にできることは、子どもがそれほど夢中になっているゲームを子どもが満足いくようにやらせてあげると共に、「ゲーム以外にもやるべきことはある」ということを、子どもも納得のいくよう説きながら、うまく切り替えを手伝ってあげることだと思っています。

朝からゲームばかりやっていた子どもたちを家から追い出した昼さがり。気になっている子育て仲間の参考になればと思い、したためました。

それにしても、こんな風に子どもの世話をするのもあと何年、とかなんだろうなあ。手探りだけど、がんばっていこう。