これ以上簡単にはできない絶品イワシのオイル煮

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サンマ、イワシ、サバ....。

銀色に光る青魚をスーパーの鮮魚売り場で見かけると、いてもたってもいられなくなり、ついバスケットに放り込んでしまう。

とりわけイワシが好きだ。

その昔、ほんのわずかな期間、はてなのメイン事業であった人力検索はてなに「いわし」という掲示板があり、ブログのなかった時代に嬉々としてスタッフ日記をいわし掲示板で書いていた切なくも楽しい思い出があるから、という事柄とは全く関係ない(こんなエピソード書いても分かってくれる人は id:yomoyomoさんぐらいだろう)。

とにかく主婦になってから(主婦じゃなくなってからも)イワシが好きだ。

ピカピカと青銀色の光を放つイワシのパックは、なぜあんなにも吸引力があるんだろう。日本人のDNAなのか?安さに弱い庶民の習性か?

昨夕、近所のスーパーフレスコ(京都で有名なチェーン店)には、大振りのイワシが4〜5尾入って1パック250円で売られていた。魚はイマイチと評判のフレスコにはめずらしく、新鮮そのもののまぶしいイワシ。全長15cmはあり、頭はカットされ、内臓も取り除かれている。それで250円!思わず2パック買い求めた。

ここで「オイルサーディン レシピ」などでググると幾つもの作り方が引っかかるのだが、いかんいかん。料理好きのうんちくと手の込んだ仕込み方法が満載のレシピに手を出すとそれだけで夏バテが進行する。以前作ったときの記憶をもとに、簡略化できそうなところは全て省いて作ってみた。

結果、遜色なく美味しいイワシのオイル煮ができた。夏野菜のサラダと共に頂いたら、最高の前菜である。白ワイン持ってこーい!!

以下、作り方メモ。

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- イワシはとにかく大きめのものを用意する

 ※通常、オイルサーディンには小さめのイワシが推奨されるが、メインディッシュ的に食べたいなら大きめがよい。頭と内臓が処理されたものがあったら大勝利

- イワシの頭と内臓を取り除いて、水で洗ってキッチンペーパーでふく

 ※骨はそのまま、身は開かない。

- フライパンにイワシを並べ、軽く塩をふり(塩味はあとで調節すればよいのでアバウトでよい)、オリーブオイル、サラダオイルを注ぎ、つぶしたニンニク、唐辛子を投げ込む

 ※オイルの量は完全にかぶらなくても骨の高さまでひたるぐらいでよい(写真参照)

- フタをせずに強火にかけ、煮立ったら弱火にして15分煮る。たまにスプーンでオイルをイワシの身にかけてあげる

- 火をとめてからフタをしてさます

 ※フタをするのは余熱で上身にも十分に熱を通すため。

完成〜!!

さめたらすぐに食べられます。骨はスルリと身から離れるので、身だけをガッツリ味わえます。

新鮮な夏野菜に塩こしょうと酢をふって、イワシを煮込んだオイルをかけて、一緒に食べると最高です。

イワシ大好き〜。青魚最高〜!!

人を責める前にやるべきこと

 

最近、PTAや町内会や地元のクラブチームなど複数のバレーボールチームに入って汗を流している。

一緒にやってる人は主に30〜40代の女性。ほぼ全員が既婚者子持ち(もしくは離婚者子持ち)で専業主婦からフルタイムの仕事を持つ人まで幅広い。

この年齢でガチでスポーツに取り組んでいる女性は、パワフルで気が強い。そしてクセのある人も多い。古今東西、おばちゃんは元気でクセがある。

ティーンエイジャーと違って、それぞれに人生経験を積んできて、結婚して子育てをして、みんな違う家に住んでいて、当たり前だけどひとりとして同じ暮らしをしていない。だから、考え方や行動パターンがそれぞれ違う。

なのでたまに「事件」が起こる。多くは良識ある大人なので子供のいじめのようなことは起こらないが、価値観の違いで意見がくいちがって炎上する。

どちらの主張も、決定的に間違っているわけではない。けれども、「青」と言っている人は「青のほうが正しい」と言い張るし、「赤」と言っている人は、赤の正当性を主張する。

結局、時間が経過するとそれなりの形に落ち着く。そもそも正解がないもめ事が多いので、「どっちもどっちだよね」という感じで収束する。

で、体得したことなのだが、もめている最中に心がけなければならないことは、シンプルだけど「一度、相手の立場になって考えてみる」ということだ。それに尽きる。

「たしかに自分が青の人だったら、こっちのほうがやりやすいよなあ」

「そうだよねえ。赤の人だったら赤が当然!って言いたくなるよなあ」

相手の立場になって考えてみる、想像力を働かせる。それだけのことで相手を責める気持ちが多少は減る。

昨日ぐらいから車椅子の人が起こした行動と航空会社の対応について話題になっている。

もし自分の身体が不自由で、車椅子生活をしなければならない立場だったら、と思うと今回の出来事は進歩的なことだったろうと思う。

もし自分が航空会社の人だったら、かなり面倒な出来事で、やれやれ現場の身にもなってくれ、と思ったことだろう。

そんな風にちょっと想像してみたら、手厳しい批評をしてやろうという気にはならないんじゃないだろうか。

自分以外の人は、自分と立場や環境や持っている条件が全然違うし、相容れない。だからこそ違いを理解して、想像して、受け入れて、折り合いをつけていくしかない。

「そんな綺麗事ばっか言って!家ではボクにキーキーうるさいことばっかり言ってるくせに!」という息子の声がどっかから聞こえてきそうだけど。苦笑

おばちゃんにTwitterはいらない

 

3年前ぐらいだろうか。ネット関係者ではなくママ友的な30〜40代の知り合いが軒並みFacebookを使い始めたとき、「いよいよSNSが一般人に広がったなあ〜」と感慨をおぼえた。

昨年あたりからinstagramを使う友人が一気に増えて、もはやinstagramに特別感は失われた。

しかしまだTwitterを使う同世代の女性は知り合いにほとんどいない。

なぜだろうと考えたのだが、その時々の心情をオンラインでつぶやきたい、情報を拡散したい、何かについて議論したい、というようなことを、「ネットでやらなくても、ふだんの生活で充分やってるわ〜」という理由から、Twitterは利用しないようである。

最近の私の知り合いに多いのは、子育て中の専業主婦や、働いていてもパート的な人、あるいは自営業的な人。そういう人たちはリアルの生活で色んな集まりに出かけては、様々な話題に興じる。わざわざネット上で知らない誰かと喋る必要性がまったくない。

「あ、いまこれを伝えたいな」と感じることなら、今日これからランチで会う友だちに話せばいいし、身近なテーマについて誰かと話し込みたい場合もリアルで属しているコミュニティの人と話せばいい。ネット上に仲間を作らなくても、リアルに気の置けない仲間が十分いる。家族もいる。顔の見えない誰かもしくは不特定多数の他者たちとコミュニケーションを取る暇などないし、したいとも思わない(ようだ)。

Facebookinstagramは違う。自分の身近な知り合いがせっせとその日のご飯や出かけた先の風景、飲み会の様子などをアップしているから、のぞいてみたくなる。「○○さん、沖縄いってたよねー」「××ちゃん、さっそくあの店にいったんや〜」など、身近な話題をひろいやすい。あと、心情吐露的なことや啓蒙的なことは、Facebookの友だちだけにとどめているほうが無難、ということもあるようだ。

それにしたってまだ一部の人たちで、Facebookinstagramも使っていない友人のほうが多い。はてなブックマークを見る人なんぞ皆無だし、はてなを知ってる人もあいかわらずほとんどいない。

LINEは別だ。ほとんどの人がLINEを駆使し、必需品として利用している。無料で知り合いとつながれるツールとして、めちゃくちゃ使う。PTAも趣味のサークルも町内会もLINEがなければもはや成り立たない。スタンプだって、みんなどんどん買っている。ネイルを塗り替えるようにスタンプも買い替える。

あくまで私の周囲の話だし、だからどうなんだと問われたら、いや別にそう思っただけ、という話なんだけど。

ネット業界にずっと属していたら分からなかったことだなあと思うと、不思議な気分になるのでした。