たとえその恋が実らなくても

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さほど遠くない昔、飲み屋のカウンターで偶然となりに居合わせた人に一目惚れしたことがあった。

世間話的な会話をいくつか交わして、互いの自己紹介めいたことをして、ぎこちないなりに愉しい時間を過ごした。

次の約束があるからと、その人は席を立った。

「ではまた」と軽く会釈して、のれんの向こうに消えていく白いシャツを見送った。見送りながら、なんていいオトコなんだ、なんて好みなんだ、と胸を熱くした。

以後、その飲み屋に通う頻度は飛躍的に上がり(そりゃそうだ)、行く時には万全のメイクと服装でのぞんだ

しかし簡単に会えるわけがない。カウンターにその人の姿がないことが分かると、がっかりした。

それでもあきらめずに通い続けた。いつ彼と再会しても躊躇しないようにお洒落にだけは手を抜かなかった。

備えあれば憂いなし。このことわざを、あのときほど体現していた時はなかった。

その後、念願の再会を果たしたが、関係は発展しなかった。お互い大人過ぎたのか、幾つかのすれ違いを経て「知り合い程度の仲」に落ち着いた。

残念だったが、今では良い思い出になっている。なにせ飲み屋で人に惚れるなんて、初めての経験だったし、恋のさやあてをめいっぱい楽しんだ。

次にいつ会えるか分からない人のために一生懸命に着飾って、気持ちアゲアゲにして店に向かっていた私は、最高に女を極めていた。幸せだった。

思い出して小っ恥ずかしい気持ちにはなるが、後悔はしていない。

恋だけでなく、チャンスに賭けているときというのは、人をイキイキさせるものだ。

手に入れたいものに向かって、突き進む高揚感。

時おり、希望とやる気に満ちあふれていたあの頃の自分を思い出す。

いつも恋が日々の原動力だった。

 

 

育児はキツい。修行は続く。いろんなものの助けを借りて。

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毎日、身体がだるくて眠い。

暇さえあれば畳に転がって休息をとっている。

小3の子どもが帰宅したらそうはいかない。友だちを引き連れてきて、リビングを牛耳ってゲームざんまい。スナック菓子はケンカしないように小皿に分けて出してやり、頃合いを見計らって公園に行かせ、帰宅したら宿題、ご飯、風呂、就寝。すべて声がけをして寝かしつけた22時にはもうクタクタ。

育児がキツい。

小学校に入れてからのほうがキツくなった。夕方まで預けていた保育園のおかげでラクさせてもらっていたなあと思う。

たしかに乳幼児期に比べれば、言葉は通じるし、多少の留守番もさせられるのでラクになった部分もあるが、別の部分でコタエルことが増えた。

育児がキツいと感じる人は多いと思うが、どの部分にしんどさを感じるかは人それぞれのようだ。

私の場合、子どもとのやりとりで生じる精神的な疲れに弱い。

元来、ひとりで好きなことをしているのが一番好きなので、24時間一緒にいなければならない子どもの存在が負担だ。

つくづく思う。これは苦手を克服するための修行だなあ、と。

もちろん子どもは可愛い。かけがえのない存在だ。だけど、子どもを育てる行為で幸せを感じるかどうかは別だ。

人には向き不向きがあるのだ。 育児が苦手、あるいは嫌いな母親だって父親だっている。 一方で、働くよりも子どもといるほうが幸せな人もいる。人それぞれだ。

もしも頼る相手のいないワンオペ育児だったら恐怖だったろう。

幸い私の場合は近所に別れた夫が住んでいて、何かあればいつでも面倒を見てくれる。息子も喜んで父親のもとに通っている。

なので普段はワンオペだけど、いざとなったら休めるワンオペなので助かっている。

ところで、こんなに育児が辛いのに、なぜ子どもを産んだのか。

その理由はひとつ、授かったからだ。

子どもが自分のもとにやってきた以上、育てなければならない。それは、好き嫌いではなく当然やるべきミッションなのだ。

と、えらそうに書いたけど、私の場合はこんな風に腹をくくるまで相当時間がかかった。

しかし離婚という大きな出来事があり、そのことで子どもをどうするか、という大きな問いにぶつかった。

おかげで、私は子どもと生きていく、と腹をくくることができた。

父親にも子どもを手放してもらいたくなかったので(当然、向こうも子どものそばにいることを希望していたので)、互いに近くに住んで、子どもを共に育てようと同意して別れた。 結果的にそのことで救われている。

いまの恋人にも助けられている。

私がしんどいとき、進んで息子の遊び相手になってくれて、私をひとりにしてくれる。

つき合い始めた当初、遠慮していた私に対し、「子どもの存在は最も優先すべきものだから」と積極的に息子に関わってくれた。 おかげですっかり仲良し三人組だ。

また、子どもも連れて行ける地域の行事に参加したり、週末にも近所の子どもをうちに呼んだり、逆に近所の子どもの家に入れてもらったりと、なるたけ子どもも私もストレスがたまらないように「他人の存在」という助けを借りている。

育児の形は千差万別だけど、ひとつだけ確実に言えるのは、助けてくれる誰かの存在や仕組みがなければ育児は破綻するということだ。

毎日ヘトヘトだけど、これからも色んなものに助けられながら子どもを育てていく。 私のためにも。子どものためにも。

 

追記:こんなことを書いたら、子どもなんていらない、と思うカップルが出てくるかもしれませんが、子どもがいることで幸せを感じている人、育児が楽しい!という人も周囲にはたくさんいます。なので、人それぞれなのだと思います。だから一様に「育児ヤバい」と思わないでくださいね(苦笑)。

最高の玉ねぎスライスを求めて遂に手に入れたスライサー

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玉ねぎスライスが好きで好きでたまりません。

実家にいた頃、母が飲んべえの父のためにしょっちゅう玉ねぎスライスを出していました。

平皿に盛られた半透明のみずみずしい玉ねぎの薄切り。その頂上にはふんわりとかつお節がまぶしてあり、食べる直前にごま油と醤油をまわしかけ、なじませるように軽く混ぜてからいただきます。

口に運んだ父が「うまいうまい!」と喜び、ビールをごくごく飲む....。そんな光景を懐かしく思い出します。

子ども心には、なぜこんなものが美味しいのか疑問でしたが、今ではすっかり好物になりました。

スモークサーモンにも、生ハムにも、冷奴にも、どんな酒のつまみにも相性がよく、オリーブオイルにもごま油にもマヨネーズにも醤油にも合って、和洋どちらにも対応可能な万能選手!玉ねぎスライスはすごい!

しかも栄養価が高く血液サラサラ効果もあるということで、最高のサイドディッシュです。

この春は、新玉ねぎを毎日のようにスライスで楽しみました。

その立役者が、京セラのセラミックスライサーです。

京セラ セラミック可変式スライサー プロテクター付き ホワイト CSN-182WHP

京セラ セラミック可変式スライサー プロテクター付き ホワイト CSN-182WHP

 

昨年、Amazonで買ったものでナンバーワンを挙げよと言われたら、迷わず「これ!」と答えられます。

それぐらい気に入って、毎日のように使っています。

千円ちょっとという安価な上に、使い勝手が素晴らしく良いのがその理由です。具体的には、

 

- 三段階の厚さ調節ができる(最も薄い0.5mmがオニオンスライスに最適)

- 軽くて扱いやすいサイズ(小ぶりの玉ねぎ半分をスライスするのにぴったり。収納もかさばらない

- 刃がセラミックなので錆びる心配がなく、漂白もできる

 

このように、三拍子そろった素晴らしいスライサーなのです。

セラミックの刃の切れ味に変化が出てくるのかは不明ですが、この値段でこの性能なら大満足です。

これまで、スライサーなどなくても平気と思っていましたが、今では、ないと困るほど必需品になっています。

京セラってすごいわー、と初めて思いました(笑)。

食べ方ですが、玉ねぎを0.5mmに設定したスライサーで薄切りし、軽くザルで水洗いし、キッチンペーパーの上でしばらく空気にふれさせてからいただくと、辛味が抜けて美味しくいただけます。とれたての新玉ねぎなら洗わなくてもよいぐらい。

きゅうりや大根のスライスにも便利に使っています。

理想のスライサーに出逢えて本当に良かった....と、使うたびに喜びを感じているこの頃です。