送り火ほか

8月16日日曜日。五山の送り火。夕方に東洞院三条の八百一でフンパツして上握りと生春巻きとささみチーズフライを買い、家からサッポロ黒ラベルとスパークリングワインを持ち出して、送り火鑑賞へ。マンションの屋上でビールを飲みながら、大文字の灯を眺めた。知人がフェイスブックで「鳥居が25分もフライングしている」と書いていて笑った。8時の如意ヶ嶽から5分きざみで妙法、船形、左、鳥居と続くのに、どうやら色んな山が年によってフライングしているらしい。それもまた味がある。「ご先祖さまは、この火を見ながらナスに乗って帰ってるんだねえ」「え、ナス?」「ほら、キュウリの馬に、ナスの牛。こっちに来るときはキュウリで、あの世に戻るときはナスらしい」「ああ、あの爪楊枝をさすやつね」「そうそう」。そんな会話をしていたら、ほどなく灯の勢いが弱ってきた。それに合わせたように、空からは雨がポツポツと降り始めた。「鎮火するのにちょうどよいねえ」「そうだねえ」。階下におりて、涼しい部屋で御馳走を食べ、スパークリングワインで酔っぱらった。

8月17日月曜日。夜中に大雨の音で目が覚めた。明け方の空気がずいぶんと涼しくて秋の到来を感じた。10日間の長い夏休みを終えて大学に出勤。たくさんのメールが届いているが、私に関するものや返事を急ぐものはそれほどない。隣の席のSさんに聞いたら、先週はたくさんのスタッフが休暇をとっていて、あまり動きがなかったそうだ。夜は、ゆく夏を惜しんでゴーヤチャンプルー、来たる秋を歓迎して焼きサンマ。苦いゴーヤはトッキーがいやがるので、彼がいないときが食べるチャンス。サンマは内蔵を取らずに焼いたけど、ないほうが良い人もいるらしい。私は大根おろしをからませて食べるのが大好き。妙高高原で買った新潟の銘酒と評判の雪中梅が届いたので冷やして飲んだ。濃いのに角がなくてまろやかでバランスのとれた味わい。また酔っぱらった。

8月18日火曜日。明け方は寒いほど。でも昼間はやっぱり蒸し暑い。京都の夏と秋が小競り合いをしている。高原で遊んだおかげか、温泉効果か、体調がすばらしくよいので仕事もはかどる。夕方、フルーツと白米のかんたんな食事を済ませて烏丸御池の近くにあるパトナという施設の体育館へ行く。久しぶりに町内会のバレーボールに参加。みっちゃんから誘われて始めたのが1年3ケ月前で、やっとこさ戦力になりつつあるが、ミスしては肩身の狭い思いをしている。自分でもなぜこの歳になって体育館で走り回ったりジャンプしているのかよく分からない。そのギャップがたのしいし、今を逃すと一生できない可能性があるので面白がりながら、でもかなり本気で(その時間だけは)がんばっている。レフトアタッカーのAさんが華麗にアタックを決めて練習試合は勝利におわった。Aさんのしなやかな長身と色白の太ももが眩しくて、つい「かっこいい〜」とコートを出るときにつぶやいたら「こんちゃんもがんばらなあかんで!!」とキャプテンのYさんが笑いながら私をつっついた(バレーではこんちゃんと呼ばれている)。Aさんは新日鉄チームが好きで、昼間はエステティシャンとして妙齢の女性たちのアンチエイジングを手助けし、3人の子どもを育てながらバレーボールを続けている。ほかにもコンビニで働く人、ドラッグストアで白衣を着ている人、看護師さん、レストランやカフェ経営者などさまざまな職業婦人がボールを追っている。その人たちから「こんちゃん」がどう見られているかは分からない。終わったあと、Tさんからブロックの上達法についてレクチャーを受けて帰路についた。汗を流したあとのビールがやっぱり美味しくて酔っぱらった。

昨日、あきこさんがフェイスブックで紹介していた記事を読んで、私のなかでいろいろなものが腑に落ちた。

死者と生きる未来(高橋源一郎)|ポリタス 戦後70年――私からあなたへ、これからの日本へ

この一年半ほど、私のなかで、現実の私と過去の私がせめぎあって、収集がつかなくなっていた。徐々にほぐれ始め、道がひらくのを感じ始めたそのときに出逢ったのが上の記事だった。ひとはさまざまなものごとに落とし前をつけながら、命の灯を燃やし続けている。送るものも送られるものも、この世とあの世の境界をまたぎながら生きている。

「地球はあと何年したらなくなるの?」「太陽の寿命はあと50億年だといわれているよ。でも人類はそれよりももっと早くに絶滅するかもしれない」「みんな死ぬんだねえ」「みんな死ぬよ」。

ほどよい筋肉痛を感じつつ、明日はスペアリブを買ってきて、冷蔵庫にある大根の残りと一緒に煮ようと考えた。クックパッドの人気レシピをケータイにメモして、エアコンをつけずに就寝した。

2015年8月吉日

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8月11日に京都を出て妙高高原の笹ヶ峰ヒュッテへ。ゆきちゃん一家、同じ大学で研究をするHさん家族、O先生と高原で過ごす。燕温泉の青い露天風呂、つるりとした池の平温泉、褐色の関温泉と三種類の温泉を渡り歩き、トマトやナスやトウモロコシなど、現地の野菜をたっぷり食べて、たくさんドライブをして8月15日に帰ってきた。

Hさん家族は初めてだったので二泊だけして先に帰り、O先生とゆきちゃん一家は8月18日まで過ごすことになっていて、私とトッキーは8月15日に電車で帰った。

長野から特急しなのに乗り込んで名古屋に向かう三時間、3DSもiPadも持ってこなかったので、アイスクリームとじゃがりこチーズ味とコーラグミをたいらげたトッキーは退屈モードに突入しかけていた。私の手元にあるのは、A4のコピー用紙十枚ほどと色鉛筆だけ。長野駅の売店でトランプが売られていたら買おうね、と約束していたが、駅のコンコースにあった二つの店にはどちらもなかった。

そこで、ふたりでトランプを作ることにした。私がコピー用紙をポキポキと折って、丹念に折り目をつけて、ゆっくりとちぎっていく。ハサミがないので手間がかかるが、昔からなぜか紙を手でまっすぐにちぎることは得意だった。「何枚いるの?」と聞くと、「54枚」という。ちぎった紙に、トッキーが色鉛筆でトランプの数字とマークを書いていく。最初の2枚には黒と赤でそれぞれに大きく「J」と書いてジョーカーを、続いてスペードの3から数字をのぼっていった。大富豪にはまっているので、いちばん弱い3が始めの数字なのだ。Q、K、A、2まで行ったら、次はクラブ。

1時間ほどかかっただろうか。かくして54枚のトランプができあがった。コピー用紙なのでもちろんヘニャヘニャだ。でもなんとか使える。そこからは名古屋に着く直前までひたすら二人で大富豪。最初は手加減が必要だろうと思って様子を見ていたが、父親の家で鍛えられているらしく、強すぎて圧倒される。そしてあろうことか、すべてのゲームで負けてしまった。

名古屋に着いたら、中央改札で父親が待っていた。トッキーは私と目を合わさずにぷいと横を向いて改札を出て行った。でもその横顔に満足そうな表情が浮かんでいたのは見てとれた(私の都合のよい錯覚かもしれない)。長野駅の売店にトランプがなくてよかった。

京都駅に着いて、伊勢丹で花束を買って、ハコブキッチンに届けに行った。さっこのパートナーである麻ちゃんが長い休みに入るので、ひとめ会いたかった。閉店後だったけれど滑り込みで顔を合わせることができた。麻ちゃんはまだ厨房の中で三角巾とエプロンを付けていた。明日の仕込みをし始めそうな雰囲気だった。「また新しいことを始めたら教えてね」と言って、店を後にした。終わりは始まり。さっこはいつものように笑っていた。このまま家に帰って京都での日常をスタートさせるのはしゃくだったので、ドライブに連れて行ってもらった。混み合う西向きの丸太町通りでマナーの悪い運転をするクルマと何度も遭遇し、日吉ダムで塩素臭のする温泉につかり、出町柳の石屋で焼き肉を食べたら変なテンションになった。帰宅したら疲れがドッと押し寄せてきて、口もきけないぐらいフラフラになって眠った。京都に戻ったんだぞ!京都だぞ!と肩をつかまれて揺さぶられたような感じだった。

翌日は、昼頃までふとんから起き上がれなかった。起き上がらなくても良い日だったので、休養ざんまいだった。昼過ぎに高倉通りの串くらで掘りごたつに座って焼き鳥定食を食べて、間之町通りのカフェさんさかで香り高いグアテマラを飲んだ。たまにはお金を払って丁寧にドリップされた珈琲を飲むのもよいものだ。贅沢とはこういうものだ。

吉日、という言葉が好きだ。

手紙やカードの最後に「○月吉日」と記すことを始めた人は誰なのだろう。吉という字がポジティブ感をかもしだしているし、日付を特定しないことで渡すタイミングが遅れても失礼がないから都合がよい。

長らく書かなかった日記を再開することにした。特にここに戻ってきた理由もない。これまでのように心情を吐露するつもりもない。ただまた日記を書くことにした。

8月はたのしいことが多かったので、書く気になったのかもしれない。

 

春暮

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昨日の夕景はことのほか美しかった。18時前、大学の正面玄関を出た瞬間に目に入ってきた空に釘付けになった。iPhoneに収めるまで十秒もかからなかった。

長らく会っていないカズさんという知人がFacebookで、

「私もこの飛行機雲見ました。」

とコメントした。ああ、同じ時間、同じ街で生きている人がいるんだと当たり前のことを想い、胸が熱くなった。

夜、いづみちゃんが、

「今日の夕焼けは、ひときわ染みたね。」

と書いてきた。

昨日は、彼女が毎日通った愛着のある場所を立ち去る日だった。写真をアップした数分後、荷物を積み込んで去って行く彼女のクルマの後ろ姿を見送ったのだった。言葉をかけられなかったけれど、良い風景を見られたなと思った。

恥ずかしさを感じながらも、

「春からは別の場所で夕陽を見るけど、ひとつの空でつながっていようね。」

という返事を書いた。素直な気持ちだった。

時間という縦軸も、場所という横軸も、人の心や魂という見えないものも、すべては途切れることなくつながっている。

人生には数々の節目がある。自分のさからえない部分で迎える節目もあれば、みずから決断して区切りをつける局面もある。

けれども、突然に白が黒になるわけではない。場所を変えても、状況を変えても、肩書きを変えても、決してすべてが一気に切り替わるものではない。何かしら、色々なものをひきずって次のフェーズへ移っていくものだ。

物であったり、想いであったり、関係であったり。それらは少なからず持ち越していくものであり、徐々に状態を変えていくものなのだ。

気付けばダウンジャケットが分厚く感じて汗をかくように、気付けば桜がほころんで景色が違っているように、自分も自然も少しずつ移り変わっていく。そして、前のフェーズと後のフェーズは、つながっている。いつまでも。

断ち切ろうと思っても、断ち切れないもの、ある。

でもそれが自然なのだ。いつか時が変化をもたらしてくれるまで、その時をなんとなく認識できるまで、私はその断ち切れないものを心の片隅にとどめながら、今を生きていく。

新しい景色を探しながら、作りながら。