2015年8月吉日

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8月11日に京都を出て妙高高原の笹ヶ峰ヒュッテへ。ゆきちゃん一家、同じ大学で研究をするHさん家族、O先生と高原で過ごす。燕温泉の青い露天風呂、つるりとした池の平温泉、褐色の関温泉と三種類の温泉を渡り歩き、トマトやナスやトウモロコシなど、現地の野菜をたっぷり食べて、たくさんドライブをして8月15日に帰ってきた。

Hさん家族は初めてだったので二泊だけして先に帰り、O先生とゆきちゃん一家は8月18日まで過ごすことになっていて、私とトッキーは8月15日に電車で帰った。

長野から特急しなのに乗り込んで名古屋に向かう三時間、3DSもiPadも持ってこなかったので、アイスクリームとじゃがりこチーズ味とコーラグミをたいらげたトッキーは退屈モードに突入しかけていた。私の手元にあるのは、A4のコピー用紙十枚ほどと色鉛筆だけ。長野駅の売店でトランプが売られていたら買おうね、と約束していたが、駅のコンコースにあった二つの店にはどちらもなかった。

そこで、ふたりでトランプを作ることにした。私がコピー用紙をポキポキと折って、丹念に折り目をつけて、ゆっくりとちぎっていく。ハサミがないので手間がかかるが、昔からなぜか紙を手でまっすぐにちぎることは得意だった。「何枚いるの?」と聞くと、「54枚」という。ちぎった紙に、トッキーが色鉛筆でトランプの数字とマークを書いていく。最初の2枚には黒と赤でそれぞれに大きく「J」と書いてジョーカーを、続いてスペードの3から数字をのぼっていった。大富豪にはまっているので、いちばん弱い3が始めの数字なのだ。Q、K、A、2まで行ったら、次はクラブ。

1時間ほどかかっただろうか。かくして54枚のトランプができあがった。コピー用紙なのでもちろんヘニャヘニャだ。でもなんとか使える。そこからは名古屋に着く直前までひたすら二人で大富豪。最初は手加減が必要だろうと思って様子を見ていたが、父親の家で鍛えられているらしく、強すぎて圧倒される。そしてあろうことか、すべてのゲームで負けてしまった。

名古屋に着いたら、中央改札で父親が待っていた。トッキーは私と目を合わさずにぷいと横を向いて改札を出て行った。でもその横顔に満足そうな表情が浮かんでいたのは見てとれた(私の都合のよい錯覚かもしれない)。長野駅の売店にトランプがなくてよかった。

京都駅に着いて、伊勢丹で花束を買って、ハコブキッチンに届けに行った。さっこのパートナーである麻ちゃんが長い休みに入るので、ひとめ会いたかった。閉店後だったけれど滑り込みで顔を合わせることができた。麻ちゃんはまだ厨房の中で三角巾とエプロンを付けていた。明日の仕込みをし始めそうな雰囲気だった。「また新しいことを始めたら教えてね」と言って、店を後にした。終わりは始まり。さっこはいつものように笑っていた。このまま家に帰って京都での日常をスタートさせるのはしゃくだったので、ドライブに連れて行ってもらった。混み合う西向きの丸太町通りでマナーの悪い運転をするクルマと何度も遭遇し、日吉ダムで塩素臭のする温泉につかり、出町柳の石屋で焼き肉を食べたら変なテンションになった。帰宅したら疲れがドッと押し寄せてきて、口もきけないぐらいフラフラになって眠った。京都に戻ったんだぞ!京都だぞ!と肩をつかまれて揺さぶられたような感じだった。

翌日は、昼頃までふとんから起き上がれなかった。起き上がらなくても良い日だったので、休養ざんまいだった。昼過ぎに高倉通りの串くらで掘りごたつに座って焼き鳥定食を食べて、間之町通りのカフェさんさかで香り高いグアテマラを飲んだ。たまにはお金を払って丁寧にドリップされた珈琲を飲むのもよいものだ。贅沢とはこういうものだ。

吉日、という言葉が好きだ。

手紙やカードの最後に「○月吉日」と記すことを始めた人は誰なのだろう。吉という字がポジティブ感をかもしだしているし、日付を特定しないことで渡すタイミングが遅れても失礼がないから都合がよい。

長らく書かなかった日記を再開することにした。特にここに戻ってきた理由もない。これまでのように心情を吐露するつもりもない。ただまた日記を書くことにした。

8月はたのしいことが多かったので、書く気になったのかもしれない。

 

春暮

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昨日の夕景はことのほか美しかった。18時前、大学の正面玄関を出た瞬間に目に入ってきた空に釘付けになった。iPhoneに収めるまで十秒もかからなかった。

長らく会っていないカズさんという知人がFacebookで、

「私もこの飛行機雲見ました。」

とコメントした。ああ、同じ時間、同じ街で生きている人がいるんだと当たり前のことを想い、胸が熱くなった。

夜、いづみちゃんが、

「今日の夕焼けは、ひときわ染みたね。」

と書いてきた。

昨日は、彼女が毎日通った愛着のある場所を立ち去る日だった。写真をアップした数分後、荷物を積み込んで去って行く彼女のクルマの後ろ姿を見送ったのだった。言葉をかけられなかったけれど、良い風景を見られたなと思った。

恥ずかしさを感じながらも、

「春からは別の場所で夕陽を見るけど、ひとつの空でつながっていようね。」

という返事を書いた。素直な気持ちだった。

時間という縦軸も、場所という横軸も、人の心や魂という見えないものも、すべては途切れることなくつながっている。

人生には数々の節目がある。自分のさからえない部分で迎える節目もあれば、みずから決断して区切りをつける局面もある。

けれども、突然に白が黒になるわけではない。場所を変えても、状況を変えても、肩書きを変えても、決してすべてが一気に切り替わるものではない。何かしら、色々なものをひきずって次のフェーズへ移っていくものだ。

物であったり、想いであったり、関係であったり。それらは少なからず持ち越していくものであり、徐々に状態を変えていくものなのだ。

気付けばダウンジャケットが分厚く感じて汗をかくように、気付けば桜がほころんで景色が違っているように、自分も自然も少しずつ移り変わっていく。そして、前のフェーズと後のフェーズは、つながっている。いつまでも。

断ち切ろうと思っても、断ち切れないもの、ある。

でもそれが自然なのだ。いつか時が変化をもたらしてくれるまで、その時をなんとなく認識できるまで、私はその断ち切れないものを心の片隅にとどめながら、今を生きていく。

新しい景色を探しながら、作りながら。

向春

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冬と春がせめぎあっていたここ数日ですが、遂に春が勝利をおさめたようです。そんなポカポカ陽気の一日でした。

日曜日のブログには、たくさんの☆やブックマークやFacebookコメントやTwitterでの反応などをいただき、ありがとうございました。

卒業 - tapestry

「卒業しすぎだろう」という言葉には笑ってしまい、ショックだという声には申し訳ない気持ちになりました。ねぎらい、励まし、呆れ気味の感想などなど、いろいろありましたが、みなさんのあたたかい気持ちが伝わってきました。

結婚、創業からずっと私たちは、インターネットにいる人たちと共に歩んできました。

あまり認識していませんでしたが、サイトを訪れてくれる人、とりわけはてなIDを持っている人は家族同然と思ってきたきらいがあります(少なくとも私に関しては。だから村だとかいわれるのでしょう。承知しています)。そのため、オフィスにいる様子も、アメリカでの生活も、出産も、しなもんとの日々も常にウェブ上でみんなと共有したい、という理由から発信してきました。

だとしたら、最後の区切りまでを全て報告しないと誠実ではないと思いました。気持ちを整理したいという意図もありました。そんな経緯で先日のブログを書きました。やはり良かった、と思います。

個人的にもたくさんのメッセージをいただきました。こちらからも送ることができました。これでいよいよ躊躇なく前に踏み出せるように思います。

ところで先日、現在勤めている大学で、元陸上競技選手の為末大さんと認知心理学者の下條信輔教授の対談セミナーがあり、印象に残った話がありました。

ある調査でスポーツ選手を対象に試合前と後にアンケートを取った結果、「気分がのらない」と事前に回答していた人が、勝利した後の調査では「はじめからうまくいくと思っていた」と答え、負けた人はその逆の答えをし、調査対象の約6割以上が「直感の後付け再構成」をしていたそうです。

そこから導き出せる教訓はいろいろあると思います。私は、上記のことを知って、「そうか、あまり未来について考えすぎなくてもいいんだな」と思いました。また一方で、たとえ勘違いでも「やっぱり直感は合っていた」とのちに思えるのなら、「後付け再構成」は人間が幸せに生きるために授けられた能力なのではないか、と思いました。

不安はありますが、ワクワクも感じている新しい季節。これからもたくさんの人と共に歩んでいけたらいいな、と思います。